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 第486号・目次
【 書 評 】 岡本弘昭『幕末史』(半藤一利著 新潮文庫)
【私の一言】 福山忠彦『アドラーの心理学に学ぶ

           :今を生き抜く「共同体感覚」』



【書 評】   ┌─────────────────────────┐
◇              『 幕末史 』
◇        
(半藤一利著 新潮文庫)              
───────────────────────────                                               岡本 弘昭


 著者は、子供の頃から学校教育は別として、朝敵である長岡藩に在住していた祖母から、次のような話を聞かされて育ったという。

「明治新政府だの勲一等や二等の高位高官だのと威張っておるやつが東京サにはいっぺいおるがの、あの薩長なんて連中は、そもそも泥棒そのものなんだて。7万4千石の長岡藩に無理やり喧嘩をしかけおって5万石を奪い取ってしもうた。なにが官軍だ。
連中のいう尊皇だなんて泥棒の屁みたいな理屈さね。」
 

 一方、薩長史観は、1868年の革命も誰もが立派そうに明治維新と言っている。しかし、実態は司馬遼太郎の指摘のように「幕末のギリギリの段階で薩長というのはほとんど暴力であった。」
しかも、その暴力を自分の戦略の都合で正義と不正義とを区分けしたにすぎない。つまり暴力革命に「詩経」にある立派な維新という言葉を付けたのが薩長史観ということになる。

 本書は、多くの関連資料も踏まえ1853年のペリー来航から、1878年の大久保利通の暗殺までの25年間の歴史を著者流に振り返ったものである。著者によるとこの背景には、戊辰戦争で賊軍となった東軍の諸藩が弓を引いた相手はあくまでも薩長土肥であり、天皇に対してではない。しかし、現実には東軍の戦死者は今もって逆賊扱いである。それは暴力革命の結果、権力を得て作られた薩長史観に根ざすものであり、あまりにも不平等であるとの認識かある。これもあり、本書は反薩長史観として記されている。

 内容は、慶応丸の内シティキャンパス特別講座での講義をまとめて文書化したものであり、文体も馴染みやすく読んでいて堅苦しくなく面白い。
また、幕末の権力闘争とその実現のための暴力と謀略内容がよくわかり、歴史の多様性と維新後の教育から、教育の恐ろしさを教えてくれる。それは現代でも心しておくべき事であり、改めて読んでみる価値がある。

 この激動の時代のなかから著者が得たと思われる歴史の真髄を紹介する。
 歴史には意思があるという指摘
歴史の流れの中では、ある一つの意思が働いてこういうときにはこういう人がいいという適任者を用意する事がある。具体的には、薩長同盟成立時に様々な情勢から長州の代表は参謀総長的な高杉晋作でなく外交官的な桂小五郎が選ばれた背景などが記されているが、その背景にはこのとき高杉晋作が四国に旅行中であったという諸事情が歴史の意思であるという事である。

 また、歴史は人が作るという指摘がある
具体的には慶応4年1868年3月に勝海舟はイギリスのバークス公使に会い、一旦緩急有って戦いとなったときは、徳川慶喜公をロンドンに亡命させる。その際イギリスの軍艦にお願いするとした会談があったが、このとき勝海舟がバークス公使から得た信頼は、薩摩に近かったイギリスがその後中立姿勢を保持することになり、円滑な江戸城明け渡しにもつながるなど維新に影響を与えたとみている。

 また、日本人の性格に対する警告もある
一つは日本人の「熱狂しやすい」性格である。
幕末時代攘夷が叫ばれたが、攘夷がきちんとした理論でもって唱えられたことはほとんどなく、ただ熱狂的な空気、情熱が先走りしていただけである。つまり、時代の空気が先導し、熱狂が人を人殺しへと走らせ、結果的にテロにより次の時代が強引に作られたということである。
昭和の時代に戦争への道を走り出したのも熱狂が先に進み使命が後から追掛けたということであり、戦争から学ぶべき一番大事なのは熱狂的になってはいけないということである。
二つは、日本人は往々にして確かな情報が入ってきていても、起きたら困ることは起きないことにしよう、あるいは起きないに違いないと思い込みがちな傾向がある。具体的には日本政府はペリー来航の可能性について実際の来航の3年前にオランダからその情報を得ていたが、その間対応を考える事なく現実に起こったときには国中が大狼狽したという事実がある。また、1945年8月のソ連による満州侵攻は、日ソ中立条約の1年後の破棄はその年の春ぐらいから解っていたことであり、またその頃からのソ連軍の国境集結も解っていた。ただ、起こったら困ることは起きないのだ、起きないのではないかという判断が先行して、実際に起こったとき大騒ぎしたという事実もある。などなどである。

本書には、こういった歴史から学ぶべき諸点も多々記載されており、その点からも面白いといえる。
   

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

『アドラーの心理学に学ぶ:今を生き抜く「共同体感覚」』
───────────────────────────
                            
                     福山 忠彦
 

およそ100年前に欧州で活躍した3人の心理学者がいました。
・オーストリアのジークムント・フロイド

 (1856年-1939年)
・同じくオーストリアのアルフレッド・アドラ―

(1870年―1937年)
・そしてスイスのカール・グスタフ・ユング

(1875年―1961年)


三人は共同研究する師弟の間柄で「人の心の病」に取り組む学者であると同時に患者を直接診る臨床医でした。最年長のフロイドは精神分析に特化して、無意識を重視した「夢判断」や「幼児期の性体験」を治療に用いました。アドラーは第一次世界大戦に軍医として多数の神経症患者を観察し「共同体感覚」を心理療法の基盤としました。
ユングは人の心は過去の全人類の心と結びあっているので「自分を知れば他人も知ることが出来て人間関係・人間社会は素晴らしい共同体になる」と訴えました。このユング心理学は京大教授であり文化庁長官も務めた河合隼雄(1928年―2007年)によって広められ、日本人として初めてユング研究所でユング派分析家の資格を取得しました。同時期の三者が互いに知り合いながらも異なる見解を持っていました。
このうち私が最もしっくりくるのはアドラーの心理学です。人は過去の「原因」によって突き動かされるではなく、今の「目的」に沿って生きている、過去のトラウマ(心的外傷)を否定し人生(生き方)はいつでも選択可能であり、人は変われないのではなく、変わらない、変わりたくないということを選択しているに過ぎない、変わること(幸せになること)に伴う「勇気」が足りないのである。と主張しました。そのため「勇気の心理学」とも呼ばれ現在の自己啓発の源流と言える考え方です。また、軍医として数多くの神経症の患者の治療経験から「心と心の繋がり」こそ最も大切と訴えました。彼の考えを要約すると次のように言えます。

・人の行動には目的がある。私たちは「目的」に沿って生き

 ている。
・自分の課題と相手の課題を分けて考える。ほかの人の課題

 はほかの人に任せよう。
 対人関係の悩みに直面したらそれは誰の課題か考えてみる

 ことです。
・劣等感はあなたを成長させるための刺激です。劣等感は、

 本当はいいものです。大切なのは自分の不完全さを認める 

 勇気を持ち行動していくことです。
・みんな仲間、私はここにいていいという共同体感覚が大切

 です。仲間に関心を持ち、幸せになるため「横の関係」を

 築く事です。自分がほかの人に役立つことで感謝されて、

 ほかの人を仲間だと思えるようになると自分の居場所があ

 ると感じられるようになります。
・「今、ここに生きる」を大切に。
 自分はここにいてもいいのだという感覚を持てるための三

 つの重要なことは、先ずは出来る自分も、出来ない自分も

 丸ごと受け入れる「自己受容」です。二つ目は他者を信じ

 るに当たって一切の条件事を付けない「他者信頼」です。

 信頼をすることを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を

 築くことが出来ません。裏切られるのは怖いかもしれませ

 んが、裏切るかどうかはあくまでもほかの人の課題です。  三つめは、私たちは誰かの役に立っている、皆に必要とされていると思えた時に自分の価値を実感出来る「他者貢献」です。この時、人は幸せを感じます。人のために行動することが価値のあることだと実感して欲しい。アドラーはそういう願いがこもった心理学者でした。

 アドラーの心理学は京都大学で西洋哲学史を専攻し、日本アドラー学会の顧問と認定カウンセラー資格を持つ岸見一郎(1956年生まれ)さんが2013年に「嫌われる勇気」を出して急速に広まりました。今では300万冊を越える大ベストセラーです。過去のトラウマ(心的外傷)という言い訳を許さないアドラーの考え方は、一見厳しく思えますが、自分の心持ち次第で人生はいくらでも変えられるという特徴を持っています。
この本は哲人と青年の対話を通してアドラーの思想紹介をしたもので、岸見さん自身が幸せになりたい一心から書いたといわれています。

 数ある心理学学者の中でアドラーの教えが私には最も納得出来るものでした。自分自身が好きであること、よい人間関係を持っていること、人や社会に貢献していること、これがアドラーのいう所の「共同体感覚」であり、これを実感出来るための次のような心構えを提唱しています。
・自分自身の問題を解決するために、自分自身が変わる勇気  

 を持つこと。
・他人の課題と自分の課題を分離し、自分の課題に集中する

 こと。
・自分が本当に歩みたい人生を、主体的に積極的に生きてい

 くこと。
アドラーは人の悩みは人間関係によると考え「共同体感覚」を重視した心理学者でした。

 幸福な人生を誰もが願っています。科学技術の発展によりそれを達成したかに思えましたが、最近では対極にある心の問題がクローズアップされる様になりました。共同体感覚の重要性を訴え人間関係こそが「幸福な人生」の鍵であると提唱したアドラーの考えは、姿や形を変えて今から何度も現れてくるでしょう。高齢化、少子化によりこの「幸福な人生」論議は活発になって来そうです。私はこの問題にもう少し深く突っ込んでみたいと考えています。


 編集後記
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 我が国の要介護(要支援)認定者数は、2035年までは増加し2040年に988万人となるという推計があります。これは様々な問題を生じますが最大は多くの介護難民の発生ということでしょうか。
 厚労省が作成した「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」の概要は次の通りで、これを参考に自助努力による健康維持により将来に備えたいものです。                                                

「成人では、家事などを含めた身体活動を1日60分以上、ウォーキングに換算すると1日約8000歩以上を推奨する。このうち筋トレなど「息が弾み汗をかく程度」の運動を週60分以上行う。
 高齢者の場合、身体活動は1日40分以上で、ウォーキングで1日約6000歩以上に相当。
達成できなくても、今より10分でも多く体を動かすことを心がける。体力が十分にあれば、成人と同等レベルで行うことを目標にする。筋トレは、腕立て伏せやスクワットでもいい。
筋肉は年齢に関係なく鍛えられ、糖尿病などの発症リスクが低くなるほか、高齢者では筋力や骨密度が改善し転倒や骨折のリスクが低減するとされる。座りっぱなしの弊害についても指摘。時間が長くなるほど、死亡リスクが高まるとの研究結果を踏まえ、30分ごとに体を動かすことが望ましい。」

今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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 第486号・予告
【 書 評 】 三谷 徹『ジェンダー格差』( 牧野百恵著 中公新書)
【私の一言】 吉田竜一『教育の効果は時間がいる』
               
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                   2024年3月1日 VOL.485

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 第485号・目次
 【 書 評 】 亀山国彦『桜のいのち庭のこころ』
            (佐野藤右衛門著 草思社 初版1998.4.6)
 【私の一言】 幸前成隆『よく人を用いる 』
               

【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇            『桜のいのち庭のこころ』
◇          
(佐野藤右衛門著 草思社)
 ───────────────────────────                      
                      亀山 国彦


 著者は、1928年京都生まれ。嵯峨野の広沢池の近くに住む造園業「植籐」の16代目。
佐野家はもともと御室仁和寺出入りの農家だったが、仁和寺御室御所の造園を担ってきた。
祖父の代からからサクラの育成も手掛け、以降三代にわたって「桜守」として知られている。
祇園枝垂桜、ケンロクエンキクザクラ、オオサワザクラなどの多くの栽培品種が著者に見いだされ、増殖されて全国にその名が広まった。
京都府立農林学校卒。造園業「(株)植籐造園」会長。桂離宮、修学院離宮の整備に従事。
2005年京都迎賓館の庭園を棟梁として造成。
1956年、彫刻家イサム・ノグチと共同でパリのユネスコ本部に日本庭園を造ったことをきっかけに世界各地に日本庭園を手掛けたことから、ユネスコのピカソ・メダル(1997)、黄綬褒章(2005)初め、多数を受賞。日本造園組合連合会常務理事。
本書は、大きく分けて、前半はサクラの良い品種を採集、栽培についての苦労話と、造園業の難しさについての後半に分かれ、京都言葉でつづられている。

  桜のいのち
日本では昔からサクラは大事にされてきたので、各地に名桜、名木がたくさん残っている。しかし木には寿命があり、これらの名桜もそのままではいつかは枯れてしまうので、後継ぎを作る必要がある。
しかし、実生で育つサクラは、日本に自生しているヤマザクラ、ヒガンザクラ、オオシマザクラのみで、その他はめしべが退化しているので接ぎ木で育てるしかない上、健康な芽の割合は少ないというハードルがある。
接ぎ木は、これから保存しようというサクラの芽(接ぎ穂)とその芽を育てる台木(挿し木で育てたヤマザクラ、またはオオシマザクラ)が必要になる。
時期の選定が重要で、2月末から3月初めに接ぎ穂となる新芽を切り出し、ミズゴケで切り口を保護し、1週間ほど寝かす。
3月15日頃、穏やかな晴れの日を選んで、挿し木で育てた台木の切り口を斜めに切って、外側の外皮と形成層の間にナイフを垂直に入れて切れ目を作る。
接ぎ穂も同様に形成層を露出させて、台木の形成層と合わさるように差し込んで、打ち藁(活着時にわらが腐って外れる)を巻いて固定(締め具合が重要)させる。
最後に土をかけ、その上にビニールシートを被せ、切り口に雨が入らないようにする。
ここまでを一日で千本を夫婦でこなす。注意しても歩留まりは高くはない。
サクラは雑種であるため、実生の場合でも、種を播けば同じ花が咲くわけではなく、
しかも、10年くらいしないと良否の見極めが出来ない。
こうして選別し、育てた苗木も、元の親のサクラが植わっている場所の都市化等による環境の変化、地質変化があれば元のような花は期待できない場合も多い。
このような苦労の中、三代にわたりサクラの苗木を育てて優秀なサクラを残そうとしている(現在、畑に数万本の苗木を育てている)。

 庭のこころー植木屋の今日と明日―
全国の植木屋の集まりで一番の問題は、本当の技術者というか職人が育たず、定着しないことだ。公共事業の場合は半分マニュアルで仕事をする、余計なことをせずに納期に間に合わせればよい。
しかし、本当の造園屋は、その人その人の技を使ってする仕事だ。技は一人ひとりみな違う。自然のものを扱うのだからその土地柄によってもみな異なる。そういう経験・技を持った人間が評価されないし、後継者も育たないということで、廃業していく人が多いのが残念だ。
1級から3級までの造園技能士制度ができたが、これは職人的な「根性」を忘れた制度で「ペーパー職人制度」だといえる。現状、専門課程の大学卒業生が3年くらいの現場経験を積むと1級受験資格を得る。このような新人は、学歴はなくても20年以上の経験を積んで相当に年を取ってから資格取得した職人と同様に扱われる。後者の方が格段に仕事の質が高いのにそれが待遇などに反映されない。また、長い下積みを経て技を身に着けてきた年配の人たちが、試験に合格しないこともある。修業は試験のためにやってきたのではないのだからやむを得ない。その結果、試験だけ通ってきた若い資
格者の手伝いをさせられては、腕のあるベテラン職人のやる気が失せるのは当然だ。
労働基準法で週40時間が義務化されたが、気象条件によっては作業の途中で中断しなければならないし、運送業者が土曜・日曜を休んでしまうと荷物が届かず、運送中に苗が弱ってしまうなど自然相手だから問題が多い。
昔、財閥が持っていた日本の庭を、今は法人が持っているところが多い。法人だと何とか維持はしていけるが、その代わり、手入れができない。お抱えの庭師が上手いことやってきた庭を法人が持ってしまうと、どうしても限られた予算のなかでしかやれないので、荒れる一方になる。
料理屋などでは、客が風景に金を払わなくなった。以前は雰囲気に納得していたが、それがなくなると経営者も客の回転だけを考えるからみな庭をつぶしてビルに建て替える。
個人も、相続税が高くなることを心配して立派な庭を造ることは諦める。
植木屋の仕事がなくなっていく運命にあるのではないか。
素人植木屋を10年余り続けている評者は、筆者に同感するところが大きい。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

          『よく人を用いる』
───────────────────────────                    
                      幸前 成隆
 事の成否は、人をよく用いるか否かにある。十八史略に、漢の高祖が天下を得た所以を問うた話が出ている。 

 あるとき、高祖が洛陽の南宮で酒宴を開いて、「徹侯諸将、皆言え。吾れの天下を取りし所以は、何ぞ。項氏の天下を失いし所以は、何ぞ」と、尋ねた。
 高起・王陵が、陛下は戦いに勝つと、その利を分け与えられたが、項羽はそれができなかったのが、違いだと答えた。
 これに対して、高祖は、あなた方は一を知って、二を知らないと言った。
 曰く。「籌を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、子房に如かず。国家を填め、百姓を撫し、餽餉を給し、粮道を断たざるは、蕭何に如かず。百万の衆を連ね、戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、韓信に如かず。この三人は、皆人傑なり。
吾れ、よくこれを用う。これ、吾が天下を取りし所以なり。項羽は、一の范増あれども、用いること能わず。これ、その吾が禽となれる所以なり」。

 攻略をめぐらすのは、張良にかなわないし、国政を治めるのは、蕭何に及ばない。また、軍事になると、韓信にかなわない。しかし、この三人を使いこなせたのが、天下を取った理由で、項羽は、傑物の范増を使いこなせなかったから、負けたのだ。

 高祖が張良の献策を用いたから、張良も心服し、また、韓信を斎王とし、上将軍の印綬を授けたから、韓信は裏切らなかった。一方、項羽は、范増に「豎子、謀るに足らず。将軍の天下を奪わん者は、必ず沛公ならん」と言わしめた。

 よく人を用いるには、度量が必要である。


 編集後記
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
  2月28日のヤフーニュースによると、米国ミシガン州の共和党予備選でトランプ前大統領の勝利が確実と報じています。これでトランプ氏は初戦から6連勝で大統領指名獲得に近づいていると言われています。

  米国大統領は、最終的にこの秋の民主党候補と共和党候補との対決できまることになりますが、トランプ氏がこのときに勝つと言う予測も少なくなく、世間では「もしトラ」と言う議論から「ガチトラ」との記事になりつつあるように思えます。
トランプ氏の政策は、「アメリカ第一主義という考え方は変わらない」とすれば国際情勢はもとより、日本への影響も少なくないと言われています。世界では「ガチトラ」を意識し始めたようですし、日本もいまから「ガチトラ」を意識しつつ諸策を講ずべき時期にあると思われますが。

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 第484号・目次
【 書評 】 桜田 薫『小室直樹の中国原論 』(小室直樹著 徳間書店)      
【私の一言】 幸前成隆 『与うる所を視る』

               

【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇             『小室直樹の中国原論』
◇          
(小室直樹著 徳間書店)
───────────────────────────

                       桜田 薫

 天才社会学者と言われた小室直樹の著書が復刊された。ほぼ30年前の出版だが中国と中国人が「科学的」に分析されていて、現在の日中関係を考える上で不可欠な知識が詰まっている。「史記」をはじめ中国の歴史書には現代に通じる社会法則が記されており、王朝は変わっても中国の本質は変わらない。中国理解には、人間関係の「ホウ(邦の下に巾)」と「宗族」、そして政治における「儒教」と「法教」の理解が基本である。日本人や欧米人には理解困難な概念だが、本書は中国で人間関係が契約より重視され、法律より人治の国である謎を明らかにする。

 人間関係の鍵となるホウは、生死を共にした三国志の劉備、関羽、張飛の関係が典型で、ホウ内の人間関係は極限的盟友の段階である。一方、ホウ以外との人間関係は、窃盗、略奪、強盗、虐殺なにをしてもかまわない。それが倫理、道徳になる。砂漠の民、古代べドウィンの規範と同じで、倭寇もあまり違わない。できるのに略奪、強姦、虐殺ができない人間はたいへんな不倫、非道徳とされ、前近代社会においては、どこでも普通の規範だった。ホウ内とホウ外の規範は全く違って、共同体は2重規範で成立している。約束は人間関係次第で反故にされ、騙されて中国人は信頼できないという
人や、反対に中国人は絶対に信用できるという日本人が出てくる。要するに中国では人間関係がすべてで、ホウのような関係ができれば契約は必要なく、口約束でもよい。
ホウ以外にも「知人」、「関係」、「情誼」というホウより緩いが結合の深さによる人間関係の段階がある。利害を基礎におくが「情誼」の結合内では約束は必ず守られる。しかし外国人が「関係」、「情誼」の段階まですすむのも容易でない。

 要するに取引では個人的結合の人間関係が重要ということだ。売買で相手によって値段が変わるので一物一価の原則は成立しない、特定集団の規範が社会の普遍的規範より優先される。これでは中国には「契約を守るべき」という市場経済の基本原則がないことになる。
「宗族」は父系の血縁社会のことで同一性を名乗り、ホウと並んで中国理解の重要な鍵となる。中国人は皆どれかの宗族に属し結合は固い。何代たっても兄弟意識、同族意識を失わない宗族は中国独特の人間関係を形成し、日本社会との根本的な違いになる。その詳しい理解は重要だが、長くなるので省略し、以下に政治・経済の話題を紹介する。

 中国の統治機構は、表向き儒教(良い政治をする)によるが、裏にある法家の思想(陽儒陰法)との二重構造だ。その思想を代表する戦国時代(紀元前5世紀)の韓非子は、儒教の根本規範である「礼」に代えて「法」の重視を主張した。「法」は君主が臣下を支配する根本原則で、その運用方法として役人操縦の「術」と合わせて世を統治する。この法律の成立は、君主論を書いた中世のマキアベリより2千年以上も前だ。
法家の思想の根本は信賞必罰ということで、現在の中国の法律が刑法中心になっている理由でもある(資本主義経済では民法が基本)。これには罪刑法定主義も近代的所有概念もなく、法律の解釈が役人の権限になっており、この伝統は共産党独裁の現在も続いている。中国固有の王朝として最も隆盛を極めたのは明だが、その統治は儒学をイデオロギーの名目とした法家思想によるものだった。(著者は、平安時代も徳川時代も儒学(朱子学)一辺倒で日本は政治音痴になったという)。しかし欧米の近代法とあまりにも違うことが問題で、現代まで生き残ってきた法家の思想によって中国は近代国家になり損ねた。中国人は、法律が政治権力から国民を守るためのものであり、その精神は権力に対する人民の抵抗とは考えない。法律の解釈はすべて役人(行政官僚)が握っているので(日本にもその部分があるが)、中国との商売で日本の企業が苦しむ。対等な当事者間の合意に基づく資本主義的契約の概念がない。資本主義における「契約の絶対性」は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の経典宗教におけ
る神との契約の絶対性から生まれたもので、神との契約(バイブル、トーラー、コーラン)のように成文化されている(文書による)のが特徴だ。契約は「破ったか」「破らなかったか」のどちらかで、権利、義務、所有など基礎概念はすべて2分法的である。この契約の概念を受け入れることは中国人(日本人にも多少)には困難なことだと、著者はいう。

 しかし私たちが常識としている所有権や契約の絶対性という資本主義のルールも歴史上は特殊なもので、近代以前には無かったことを想起する必要がある。資本主義のルールが「天の理」と信じて中国のルールを間違っていると主張すれば中国人とのコミュニケーションはできない。実は資本主義以前の日本人も分かっていないことで、著者は一例として徳川家光から褒美にもらった間垣平九郎の馬をあげる。将軍拝領の馬を彼が勝手気ままに使用できるとは考えられないが、それは所有と占有の明確な区別がないからだ。所有概念の欠如は資本主義後進国ではありがちで、所有は2分法的でない。中国に盛んな汚職も同じ所有概念の欠如が根本原因だ。役得と同じくどこからが自分のものかはっきりしない。科挙の制度があった時代に高級官僚は数が少なく、地方に派遣され主な仕事は税金を中央に送ることだった。当時は国の会計と個人の会計の区別がなかった。地方の長官を3年勤めれば清廉潔白な人でも3代にわたって家が持つといわれた。中国には汚職の概念がなかった。国家予算の何年分という日本では考えられない巨額の賄賂もあった。

 著者は最終章(本書は1990年発行)で中国の不良資産の増加や財政赤字をあげて、中国政府は経済理論の理解が大切という。複式簿記の採用や産業連関表の活用、前提として正確な統計作成などを提案するが、現在は30年前より進歩しているだろう。しかし前述のように今も資本主義的契約が守られないことや事情変更の原則がある。契約を破ってよいとされるのは、中国の契約が人間関係を固め交渉をスタートさせるという意味だからだ。中国では裁判に勝っても無駄、国際仲裁裁判所が裁定しても実効性をもたせることもできない。社会構造も社会組織も規範の変化もなく、法律も本質的には変わらない。「持続の帝国(へーゲル)」だから同じことが反復する。人民革命や文化革命が起きても中国史を貫く社会法則は不変である。中国の市場経済への道は遠い。
以上は本書の紹介として不十分で、興味深い論点が多く残されている。実例や逸話が多くて記述も分かりやすいので、ぜひ本書の一読を勧めたい。

 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

         『与うる所を視る』
───────────────────────────

                      幸前 成隆

「富みてはその与うる所を視る(李克)」。

「富めばその養う所を観る(呂氏春秋)。
金ができたとき何に使うか。その使い方で、人物が分かる。

 通常の人は、自分の私欲のために使う。多くは、これまで抑屈させられて来た欲望を、この際一挙に果たそうとする。豪邸を建て、ブランド物を買い、豪遊し、酒食にふける。
また、私利を増やすために、利殖、投資に走る人もいる。
 

「金の使い方ほど難しいものはない。人格が、そっくりそのまま反映する(伊藤肇)」。

 徳ある人は、人のために使う。
「富めるは、よく施すをもって得となす(呻吟語・修身)。
 史記に、范蠡の故事がある。范蠡は、越王句践が覇王になった後、越を去り、
「斉に適きてし夷子皮となり、陶に之きて朱公となる。…十九年の中に、三たび千金を致し、再び分散して貧交疏昆弟に与う。これ、いわゆる富めば好みてその徳を行う者なり」。
 また、世説新語には、宗の劉凝之が衡陽王から銭十万を餉られて、市内の飢色ある者に分与した話がある。

 最上の使い方は、人の育成に使うことである。
「終身の計は、人を樹うるに如くはなし(管子)」。
米百俵の教えがある。戊辰の役後所領を減らされた長岡藩に、米百俵が届いた。これをどう使うか。藩士に分けるべしとの意見が強い中で、小林虎三郎が一人反対して、人材育成に充てた。
 金は生かして使うことが大事である。


 編集後記
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 世論調査万能時代のようで、新聞各社など多くのメディアは毎月政党支持率等の調査結果を発表しています。ただ、現在の世論調査はその方法、設問の仕方等からその調査結果は、popular sentiment「世の中の雰囲気」と理解するのがいいようです。
法政大学名誉教授奥 武則氏は、「メディア史研究者の佐藤卓己さんによれば、「世論(せろん)」は popular sentiment であって、public opinionを意味する「輿論(よろん)」とは違うもの。この区別から言えば、いまメディアが定期的に行う世論調査なるものは、たかだかそのときどきのpopular sentiment (「世の中の雰囲気」といったところか)を可視化しているに過ぎないと言える。」と指摘されています。
 我々は、現代の世論調査の結果に一喜一憂することなく、その上昇とか下降といったトレンドは注視するものの、一方では、いろいろな手段・方法でpublic opinionを知る努力を重ねる必要があるということでしょうか。
今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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 第485号・予告
【 書 評 】  亀山国彦『桜のいのち庭のこころ』

            (佐野藤右衛門著 草思社 初版1998.4.6)      
【私の一言】 幸前成隆『よく人を用いる 』
               
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                  2024年2月1日 VOL.483

          評 論 の 宝 箱
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 第483号・目次
【 書 評 】 片山恒雄 『 元気に老い自然に死ぬ  

             山折哲雄・秦恒平対談集』(春秋社)
【私の一言】 小林基昭 『 我家の限界費用ゼロ革命から
              再生可能エネルギーを再考する 』



【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇        『元気に老い自然に死ぬ』
◇      (山折哲雄・秦恒平対談集 春秋社)
└─────────────────────────┘

                       片山 恒雄

近・現代に入ってから、老人に対する見方は、老・病・死として受け取られ、若い世代から嫌われ、敬遠され、不安がられ、汚ながられて来た。すると老人世代は反発してルサンチマン(恨執)を生み出した。江戸幕府には、大老・老中・若年寄と年齢はともかく年寄りイコール尊敬すべきという概念があり、横町のご隠居さんまでが、永年生きて来て知識を集積した人として敬意の対象であった。そこで今の衆議院・参議
院ついてまず衆議院を六十五歳定年とし、参議院を廃止する。
それに代わる老議院(名称は別途考慮の余地あり)を新設して、ご意見番の機能を持たせる。三人ないし四人に一人が六十五歳以上の現在、比例代表制から見ても穏当である。老害などと言わせない。宿老・翁の知恵である。

 老人に備わっている教養とは何か。教養が血肉化し、人格として滲み出てくるものでなければならない。それには孤独でなければならない。たとえ群れに囲まれていても、心の一点に弧心を抱いて動揺しない静寂さが必要である。

 自然系・人文系に限らずすべての学問の基礎に「人間とは何か」が問われなければならない。その次に出て来るのが、「日本人とは何か」、その次には「自己とは何か」が問われる。それらが問われなければ、学問は単なる「知的テクニック」になってしまう。IT革命(インテリジェンス・テクノロジー)と言っているが、「情報」の「情」は「人情」の情であることを忘れてはならない。近代文明の基礎を築いたのはいわゆるヒューマニズムであり、人間に対する理解が基本にあってその上に科学・労働の殿堂が組み立てられているのである。明治の西欧学の輸入にあたって、学術・技術の取込みを急ぎヒューマニティまたは人間理解がなかったように思う。

 近代人は最初に神を殺した。その結果哲学あるいは宗教の側から言葉の持つ力が失われた。老人たちに死の不安が芽生え孤独感・孤立感・疎外感が増えている。老人は定年後寿命までの三十年余りを生きければならない。たとえ体は衰えても。
 職退きて俄かに老けし後背が刑余を侘ぶるごとくに庭掃く         安江 茂
 

 日本の仏教を見ると、行基にしても弘法・最澄・空也・法然・親鸞・道元・日蓮・一遍にしても老いを迎えてから活躍し始めた訳ではない。人生の前半期に「覚醒」が芽生えて、それが年を追って煮詰められていく。そして高齢に及んで「変貌」「成熟」していくべきものである。ところが今の時代には、現代や未来に通ずるキャパシティを引き出す根源的な力がない。S・W・ホーキングという身体の不自由な宇宙物理学者がいた。彼は人類に残された寿命はあと千年ほどだと予言した。その根拠は分らないが、物理学者の生命感覚が導き出したものであろう。二百五十萬年に及ぶ人類史と比べて、終末期に近い絶滅危惧種である。これから老年期に生きる我々は、それに耐えうる思想を作り出さねばならない。今までの宗教の実態つまり教祖・教義・伝導活動という三位一体ともいうべき発信方法を根本的に見直す時期に来ているのではなかろうか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

    『我家の限界費用ゼロ革命から

        再生可能エネルギーを再考する』
───────────────────────────                           
                      小林 基昭

 

1・はじめに 
 現在、気候変動はさらに加速し、2023年夏は今までにない猛暑を経験しました。いまやグテーレス国連事務総長がいうような温暖化を超えて沸騰化の時代が来ていると言っても否定できない状況になっています。
再生可能エネルギー(以下「再生エネ」と言う)については、これまで定点観測的にフォローしてきました。今回は設置後10年を経過した太陽光発電の実績と原料コストゼロの再生エネの意味を「我が家の限界費用ゼロ革命」という視点から再考したいと思います

2・EUや中国などの政策に大きな影響を与えているコンサルタント・アドバイザーのジェレミー・リフキンが書いた「限界費用ゼロ社会」という本があります。限界費用とは、追加で生産する1単位増加に要する費用のことですが、昨今のIoT技術の進展により、生産コストが指数関数的に激減していくと価格も利益も丁度メインフレームがPCへ置き換わったように大幅に低下していくと言っています。
その一番の例が再生エネであり「原料費ゼロ」の発電が拡大していくと初期投資回収後は、限りなく電力コストはゼロに近づいていきます。再生エネは太陽光も風力も「原料コストゼロ」で現在の化石燃料・ウランを原料とする電力では絶対に実現不可能であり発電コストは究極的に再エネに勝てません。 

3・以上を頭に置きながら我が家の2012年来の実績とFIT 終了後1年の現状を「限界費用ゼロ革命」という視点で具体的に報告します。まず東日本大震災・原発事故1年後の2012年、計画時の前提は稼働率12.6%、想定発電量4,214kwh/年、設備容量3.99kwのパネル21枚を屋根に設置しました。投資額はグロス2百万(補助金有)NETで約1.6百万、小型自動車1台分くらいの投資でFIT価格42円/kwhで計算すると、約9年、自家消費分もいれると8年くらいで回収可能と考えました。

4・FIT期間中の実績
 2012/7~2021/6平均で発電量4,805kwh/年(計画比114%)稼働率13.7%(計画比1%UP)消費量比2.5倍の発電量を確保、投資額回収はほぼ計画通り約9年で完了。売電量は発電量の約9割の4180kwh、消費量は平均1919kwhとなりました。
 1)FIT終了前後の変化を見ます。大きな変化はFIT時「売電

 優先、残り自家消費」に対し、FIT後はコストゼロの「自

 家消費優先、残り売電」という正反対対応になっているこ

 とです。自家消費は62kwh/月から142kwh/月と2.3倍に

 増え、結果買電量は139kwh/月から50kwh/月へ64%減、

 売電は328kwh/月から 226kwh/月へ31%減となってい

 ます。自家消費率は34%→80%へ増加しました。

 2)FIT終了後(初期投資回収後)の蓄電池導入
 FIT終了後の最適の活用法として日中発電したコストゼロ

 の電気を最大限利用するため9年目に蓄電池を導入しまし

 た。投資額約1.5百万円補助金後880千円、 FIT終了後は売
 電単価が10.5円/kwhと1/4に下がりましたが、コストゼロ

 の自家消費分を勘案すると約11年で回収可能と判断しまし

 た。

 3)FIT終了後電気代限界費用ゼロへ
 自家消費は62kwh/月から142kwh/月と2.3倍に増加、一

 方買電量は139kwh/月から50kwh/月へ減少したため、支

 払い電気代は▲40%の2.5千円/月へ。
 売電収入の単価は1/4の10.5円/kwhへ減少したものの、売

 電量は▲31%に止まり収入は2.4千円、差し引き▲1百円と

 ほぼトントン、コストゼロの自家消費分142kwh/月の機会
 利益分4.3千円を勘案すると限界費用は受取超の4千円/に

 なりました。    

 4)我家の太陽光発電実績から実証できたこと
 ・初期投資回収後は、限界費用ゼロを実現
 ・蓄電池は調整電源対応として有効
 ・自給自足可能なプロシューマー(生産者兼消費者)化
 ・地球の物質代謝SY破壊への借りを返す一助

5・第3次産業革命と日本経済へのインパクト
 ジェレミー・リフキンが著書「第3次産業革命」で言っているようにいま第3次産業革命が進行中であることは、間違いないと思います。これまで2度の産業革命は3つの要素「新通信伝達手段」「新エネルギー」「新輸送手段」が融合した時に起こりました。いま「新通信手段」のインターネット「新エネルギー」の再生エネ、「新輸送手段」のEVや自動運転車などの3要素が融合し、第3次産業革命が進行中です。
化石燃料文明から自然エネルギー文明への大転換が起ころうとしています。パラダイム転換が進行中で化石燃料文明の大規模中央集中・垂直統合型の生産から再生エネ文明の小規模分散ネットワーク・水平展開型へ大きく転換していきます。
EUをはじめ米中も再生エネやIOTの投資が急拡大していますが、日本は2050年カーボンニュートラル宣言はしたもののそれを実現する長期計画がなく、2030年のエネルギー計画のみで目先対応に終始、GX計画では原発への揺り戻しが起きています。このまま行けばエネルギーコストの対外競争力に後れを取る虞があります。

6・再生エネの日本経済での重要性
 日本経済の二大弱点は間違いなくエネルギーと食料で人間生活のライフラインです。
2020年のエネルギー自給率は11%と先進国中最低ですが、いま自前のエネルギー資源が手に入る状況になりました。近代日本は、資源がなく石油を求大戦まで大戦まで惹き起こしました。自給率は石炭生産をしていた1960年は58%ありました。いま自前の再生エネで自給率を50%までUPすれば、莫大な日本経済へのインパクトになります。
しかしなぜかそういう議論はゼロです。昨年のエネルギー輸入は約30兆円です。自給率を50%まで引き上げれば輸入額の半分の10~15兆円が国内に還流、自動車輸出が昨年16兆ですからそれに匹敵するインパクトが日本経済に起こり経済再生への起爆剤になると思います。そして、世界は再生エネへの転換が必至の状況下、将来化石燃料資産は座礁資産となる可能性が高く、シティーGの試算ではその損失は100兆ドルに上るとも言われます。資源小国の日本は幸い将来の処分損失も少ない。逆転の発想をすれば自給率最低の日本はそのメリットを一番享受しうる絶好の位置にあると言えます。
しかし、長期計画もなく目先対応で終始すれば最大のメリットを活かすことは難しいと思われます。
そしてもう一つの弱点食料は自給率38%と先進国中最低レベルで今後の安全保障上国防以上に大きな懸念材料です。すでに大半が70歳以上超高齢化状態の日本農業は消滅の危機がそこまで来ています。最大の問題は、若者が魅力ある農業と見ていないことです。進行中の第3次産業革命を農業政策にも活かしIOT技術と農業を融合させ儲かる農業へ転換することが出来ないか。コメの生産性は1ha/1百万円の収入、太陽光発電は1ha/100万kw/10円/kwhで1000万円と10倍の差があります。ソーラーシェアリングで農地の30%(30a)利用できればソーラー収入3百万円、併用すれば収入は4倍になります。
企業経営的センスも要求され若者にも魅力的な農業に変貌する可能性があるのではないか。耕作放棄地は富山県の面積並みの42万haに上ります。耕作放棄地の活用と全農地440万haの5%~10%活用すれば、2050年に必要とされる5倍の太陽光発電は可能になります

7・最後に明るい話題ですが、太陽電池は最初日本企業が最先端を走り、上位独占していましたが今は見る影もありません。しかし今朗報があります。桐蔭横浜大学の宮坂力教授が発明した日本発のフィルム型新太陽電池「ペロブスカイト」の事業化が2025年にも始まろうとしています。原料のヨウ素は世界2位の生産国ということで完全国産化が可能な超有望商品です。積水化学が先頭を走って実証実験を開始しています。
唯一心配なのは半導体や太陽電池で失敗したように完全品を求めて事業化で同じ轍を踏まないかという点です。これにつき小宮山宏元東大総長は完全を突き詰めて造るのではなくサブスクリプションで普及を優先し修正は走りながらしていけばいいのではと提案されています。これはなかなかいいアイディアではないかと思います。ぜひこの宝の山は日本で独占してもらいたいと思います。日本のGDPシェアは21世紀に入り急速に低下し2022年ついに4.2%まで凋落しました。1950年、戦後5年後のシェア3%は下手をすると今年突入するかもしれません。名目GDPもIMF予想によれば今年ドイツ
に抜かれ第3位から第4位へ落ちるようです。日本再生への一歩はエネルギー転換なしには難しいのではないかと思いますが如何でしょうか?


 編集後記
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
京都大学の元教授・矢野暢さんによると、日本の現代史は40年ごとに大変革を起こしてきた歴史があるそうです。最近では、昭和20年の敗戦、昭和60年の円高切っ掛けのプラザ合意がそれです。いずれも日本社会を大きく変えました。
 来年は昭和100年で、40年サイクル説では日本社会の大変革が起こる事となります。今年は世界的に選挙の年であり、その結果如何ではいろいろな影響が生じる可能性もあると言われております。最近我が国社会は経済的にも政治的にも沈滞気味であるだけに昭和100年つまり来年がいい大変革の年になる事を今から期待したいものです。

 今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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 第484号・予告
【 書 評 】 桜田 薫 『小室直樹の中国原論 』(徳間書店)        
【私の一言】 幸前成隆 『 与うる所を視る』
               
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                   2024年1月15日 VOL.482

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 第482号・目次
【 書 評 】 西川紀彦 『いま「憲法改正」をどう考えるか』
            (樋口陽一著 岩波書店)
【私の一言】 加藤 聡 『高齢者にとっての生きがいとは

            -長期化する人生への対応』
               


【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇     『いま「憲法改正」をどう考えるか』
◇          (樋口陽一著 岩波書店)
└─────────────────────────┘
                       西川 紀彦


 この本は、2012年に自民党が憲法改正草案を公にしたのに対して、批判的な見解を述べたものを内容としている。したがって、現今の集団的自衛権を巡る安保法制法案には直接敷衍がないが、保守層の憲法改正の考え方がわかる。著者は現行憲法を維持する護憲派の学者としてつとに有名であり、集団的自衛権論議では違憲の論陣を張っている。このたび憲法とは何かを理解する一助としてこの本を購入して読んでみた。

1.まず、戦前の憲法論議を2派の対立として紹介している。
 ひとつは「建国の体」としての憲法という次の考え方で、    穂積八束、上杉慎吉らの 主張である。「一国の憲法は一国固有の国体、政体の大法なるが故に・・・・一切外国の事情及び学説に拘泥せざるを主義とす」
 もうひとつは「海外各国の成法」を参考にすべしとする美濃部達吉らの論である。
 すなわち、大体において西洋諸国に共通する立憲主義の原則を帝国憲法は採用している、憲法解釈においても必ずこの主義を基礎としなければならないとして、天皇の地位を統治権の総攬者としつつも、尊崇、敬愛の対象として国政上の地位の相対化を計っているとする。
 戦後においては、GHQに押し付けられたものとしつつも、我妻栄、宮沢俊義、清宮四郎らの美濃部門下の学者で構成した「憲法問題研究委員会」は押し付けられた不本意なものと考えた者は一人もいなかった、しかし国民は政府に押し付けることは出来なかった。つまり、憲法の「生まれ」はポツダム宣言の受託であり、その「働き」は人権の普遍性の承認であったが、「生まれ」の正統性と、「働き」の正当性が改
 正論議では問題となったのである。

2.次に、2012年の自民党の「改正草案」を詳しく説明している。
  改正は3類型に分類できる


 第一は「解釈改憲」の明文化である。
  (1)天皇を元首と表現して、国家を対外的に代表する      者と明確化する。但し、象徴性は維持して国事行為を限定的ではなく行なうものとする。
  (2)「国防軍」の明文化、その行動の規制方法は「国会の承認その他の統制に服する」とする。戦争の放棄から安全保障の強化へ
  (3)「自衛権」の明記 個別、集団を区別しない

 第二は権利保障の制限と例外の原則化である。
  (1)表現の自由は、「公共の福祉」に資するためだけではなく、「公益及び公の秩序」に資する為に認められる。
  (2)政教分離の原則は、「いかなる宗教的活動において」から「社会的儀礼、又は習俗的行為」は例外とする。
  (3)労働基本権は、公務員が全体の奉仕者として認められるのであって、公務員一般に自動的に認められるものではない。

 第三は基本の考え方の逆転である。
  (1)前文の全文書の書き換え
天賦人権説に基づく「人類普遍の原理」の文言が消えて、規定振りが全面的に見直される。
  (2)自己決定の自由な主体としての「個人」ではなく、家族や社会全体の中に置かれた「人」と位置づける
  (3)権力を縛る憲法から、国民が尊重の義務を負う憲法へ
  (4)法令で定める緊急事態要請規定の定めを新設し、何人も遵守義務を負う
  (5)改正手続きを容易にする国会議員2/3から1/2に、「権力の制限」と同時に「主権者である国民が行使する権力をも制限」してバランスを取る。

3.これに対して著者の見解は次の通り
(1)普遍の追求を断念して、「日本は独自」の立場で良い   のか
(2)権力の制限を根本に置く立憲主義の枠組みを構造転換している
(3)なぜいまの社会の大枠を壊すような改憲をしなければならないのか
天皇を象徴よりも元首として、個人の確立よりも大勢順応の人へ、国防軍になって自衛隊員の信頼性が失われないか
(4)理想主義でなく、現実主義が横行している。決める政治に流されないで欲しい

4.著者の見解は、戦後高度成長を経て冷戦終了後今日まで、学会の主流的な考えであったと思う。冷戦期のいわばアメリカ依存の安住した外部環境において、又一億総中流化の経済環境において通用する考えであった。しかし世界はどんどん変わってきた。自分の身は自分で守るあたりまえの世界におかれている今日、理想主義ばかり言っておれないのが現実である。現憲法制定時と現在とでは世界の中の日本の環境は大きく変わっている。確かに憲法は時代を見据えて30年、50年のスパンでその条文を考えなければならないものであると思う。したがって変えるべきところは変える必要がある。その論点として
(1)個人の自由、平等、博愛という普遍の追及は大前提、しかし、オールマイティの個人という考え方はとらない、社会の構成単位としての家族を重要視する、家族の中の個人である。
(2)権力の制限としてのみならず、国民主権の制限をも均等に考える
(3)国を守る軍隊としての自衛隊を位置づける
(4)自国の防衛につながる集団的自衛権は認める。その判断は国会の事前承認を原則とする
(5)天皇はいまの象徴天皇としての解釈を変更しない


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 

   『高齢者にとっての生きがいとは

           -長期化する人生への対応』
───────────────────────────                           

                       加藤 聡

  

ある高齢者のつぶやき
 ある知り合いの高齢者(女性)が、「長生きはつらい。歳をとっても、なにもいいことはない」とつぶやくのを耳にした。
この人はごく普通の主婦として、夫を支え、子どもを立派に育て上げ、経済的な面でも恵まれていて、傍目には何の不自由もなく、きわめて恵まれた日々を送っているように見えた。この老婦人の家庭環境を知る私にとって、このつぶやきは意外だった。
世の中にはこのような高齢者が、けっこういるかもしれない。しかし、こういう老人が出るのは、そこの家庭だけの問題だろうか。

 高齢者に生きがいをもたせられないのは、その家庭を含めた周りの社会が悪い、それは周りの社会の責任だと割り切ってしまうのはたやすい。しかし、ほんとうに地域社会だけの問題だろうか。

 高齢者の一般的な過ごし方
 一般的には、気心の知れた仲間がいて、かれらといっしょに共通の趣味で過ごすのが楽しみだ、それが生きがいだという人は多い。趣味は、別に仲間といっしょでなくても、例えばスケッチを楽しむとか、盆栽づくりにいそしむとか、魚釣りに行くとか、ひとりで楽しめることでもいっこうにかまわない。
あるいは住んでいる地域でボランティア活動に参加し、日々地域に貢献して、地域の人から感謝されている人もいるだろう。
こどもや孫といっしょに暮らし、遊び相手になり、ときにはいっしょに旅行したり、遊園地、公園などに行っていっしょに楽しむ、というのも高齢者にとっては生きがいの大きな要素にちがいない。
 ただ、なにか「生きがい」になるようなことをもつ(身につける)といっても、周囲の条件に恵まれていないとむずかしい。
 まず、そこそこ健康であることが必要だ。そして高齢者の場合は、身近で自分を支えてくれる人、生き方を理解し、評価してくれる人がいることが望ましい。さらにいえば、周囲の社会が、高齢者が生きがいを感じられるような環境整備に力を注ぐことが期待される。

 高齢者者が生き生きと過ごすためのヒント
 高齢者が「生きがい」を感じるためには、いろいろな生活上の知恵・工夫が必要だろうが、ここでは、老後を生き生きとして暮らすためのヒントを、外山滋比古の「老いの整理学」から、いくつかを拾い上げてみる。
・笑って暮らす(緊張のストレスを発散するには笑うのがい ちばん)
・忘却は自然の摂理、悪いことは忘れる、忘れれば頭はよくはたらく 
・怒ってよし、泣くもよし、威張ってよし(威張れるもの、誇れるものがあることは生きがいのひとつだ) 
・茶飲み友だちをつくる 
・先々に楽しみをもつことは最大の活力
 
 マクロ的にみた高齢者を取り囲む状況
 高齢者を取り囲む状況について、坂井豊貴氏(慶応大学教授、環境経済学者)の小論が新聞に載っていた。
坂井氏は、長生きはリスクであることが通念として定着した。科学の発展により寿命は延びたが、社会制度や精神の働きは、人生の長期化という現象に追いついていない。
ただ生きるだけのことがまるでたやすくはない、私たちはこれほどの長命化社会を経験したことはないし、各人は人生の長期化に備えざるをえない、と指摘する。そして長期化する人生の難題に対しては、「諦念と安堵を共有できたらと思う」と結ぶ。(2023年10月19日付け朝日新聞)
 坂井氏は、諦念と安堵ということばを使ったが、どういう諦念と安堵かについては、具体的に説明していない。
いきなり諦念と安堵を共有するといわれても戸惑うが、現代の老人は、かつての世界からは心身の衰えを理由に追い立てられる縦の不自由と、パソコンや携帯電話をはじめとする新しい電子機器の登場など変わり続ける現在の世界に、容易に参入できないという横の不自由をかかえたまま、うろうろしなければならないという状況(この現状認識は黒井千次氏の「老いのゆくえ」による)に直面して、次第に社会に適応できなくなり、その不自由さがあきらめの感情につながっていくとすれば、老人がいだく「諦念」は理解できる。

 結びに代えて
 しかし、現実に高齢ながら生きていかざるを得ない者にとっては、いまの世の中の流れ、風潮をそのまま受容し、これでよしと達観することができるだろうか。いろいろ不満をかかえながらも、自分一人の力ではいかんともしがたいと、あきらめているのが実情ではないか。それが「諦念」をもつということだとすれば、それまでだが、まだ活力が残っている高齢者にとっては、「諦念」に至るまでの「何らか」の生きがいのようなものがあってもいいのではないか。
「生きがい」で満たされれば、その人なりの人生に肯定的な「諦念」が形成され、「安堵」を覚える境地に至るかもしれない。
80歳代も半ばの高齢者である私としては、せめて、残された日々を送るにあたり、なにがしかの「生きがい」を見つけ、「生きがい」を感じたうえで、「諦念」や「安堵」の境地に達したいものだと思う。
 みなさんはどのようにお考えだろうか。


 編集後記
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 能登地震から2週間も経過しつつありますが、被害状況はいまだ明確に把握出来ないようです。一方、時間の経過と共に震災関連死も増えつつあります。これは地震のあとの避難生活による体調の悪化などが原因であるということです。
対策には避難所の避難生活の環境改善が必要で、特に「TKB」が重要と言われています。これは「トイレ・キッチン・ベッド」の略で、
「トイレ」は汚いトイレを避けて清潔なトイレにすること、
「キッチン」は冷たく栄養の不十分な食事を避けて暖かい食事を意識すること、
「ベッド」は床での雑魚寝を避けて就寝環境を整えることなどを指しています。

これは行政の問題でもありますが、震災大国に暮らす我々個人としても震災に備える心構えの一つとして十分に意識しておくべきことと思われます。

 今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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 第483号・予告
【 書 評 】 片山恒雄 『 元気に老い自然に死ぬ  

             ー山折哲雄・秦恒平対談集』(春秋社)   
【私の一言】 小林基昭 『 我家の限界費用ゼロ革命から再生可能
             ーエネルギーを再考する』
              

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                      2024年1月1日                             VOL.481
                                                                                                                                  

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第481号・目次
【 書 評 】 三谷 徹 『日本人の勝算 』
          (デービッド・アトキンソン著 東洋経済新報社)
【私の一言】 福山忠彦 『温故知新の旅 20年ぶりの台湾 』



【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇         『日本人の勝算』
◇  
(デービッド・アトキンソン著 東洋経済新報社)
└─────────────────────────┘
                       三谷 徹


 著者は1965年生まれのイギリス人、30年以上の滞日経験を有する。ゴールドマン・サックスのアナリストなどを経て現在京都で文化財修復を行う会社を経営している。
氏は生産性向上がどこの国、社会、企業においても成長の原動力であるとの論を他の著書においても展開している。

 2019年刊行の本書では、人口減少、急速な高齢化という日本の現状から諸外国以上に生産性向上が喫緊の課題であること、またその実現には金融政策だけでは足りず、最低賃金の引き上げが必須であると説く。GDP=労働生産性×生産年齢人口であるので日本のように人口がすでに減少しており、増加に転じそうにない国では、GDPを増やすには労働生産性を人口減少のスピード以上に増やさなければならないことは自明である。問題はこれをどのような手段で解決していくかにある。そのためには、まず日本の現状を正確に把握することだ。

 GDPの推移(1990~2015年)を見ると、日本は年率平均0.9%で、人口要因0.1%、生産性要因0.8%となっている。しかし、世界平均は年率2.7%(要因は各々1.3%、
1.4%)であり、先進国でもイタリア以外はほぼ2~3%である。日本は人口、生産性双方において劣位にある。人口を見ると2015年に127百万人、65才以上の比率が27%だが、これが2030年には117百万人、32%と予想される。一方、労働生産性は世界で29位(2016年)、G7では最下位である。反面、人材の質の国際比較では日本は世界4位でG7の最上位にある。

 人材の質が高いのに生産性が低く、GDPの伸びも低い。一人当たりGDP(購買力平価換算2017年)も42千$で30位と低迷している。著者はこのようなアンバランスでかつ心配な状況を作ったのは、労働力が豊富な時代の成功体験が政府の政策にも企業経営の在り方にも大きく残っていること、社会構造、産業構造が全く日本と異なる米国に成長シナリオの手本を求めたことにあるとする。

 これを打破する最優先の方策を著者は最低賃金の早急な引き上げに求める。欧米の多くの諸国が日本よりはるかに高い最低賃金を設定しており、ドイツのようにその制度がない国でも政労使が交渉して賃金引き上げを実現しているので同じ効果を得ている。
因みに日本の最低賃金(2017年)は6.5$でフランス、ドイツの11$、米国の8.5$と比較すると極端に低く、先述の人材の質と著しい不均衡を示している。

 最低賃金の引き上げを容易にするには、政府の施策もさることながら各産業とりわけサービス業において企業規模の拡大が不可欠だと述べている。賃金抑制の背景には不十分な設備投資、人材育成への投資不足などがあり、この解消には相応の企業規模が必須だからである。日本の中小企業比率は外国比でも高く、その改善が必要と著者は苦言を呈する。製造業の下請け、孫請けという構造の中で低賃金の中小企業が生き延びる慣行がそのまま残されている。大企業もその中で自らの労働コスト、外注コストの抑制だけで利益確保を行ってきた結果がこのような事態を招いた。大企業、中小企業双方の経営者の革新性のなさが今日の事態を招いたというのだ。

 少し視点は異なるが、このような経営姿勢や企業規模デメリットは輸出の不振にも影響を及ぼしている。日本のGDP比輸出比率(2017年)は16%で、米国12%を除くと先進国中最低である。イタリア、フランス、イギリスは30%程度、ドイツは46%、スイスは65%である。著者によれば輸出も生産性と高い相関があり、賃金を経由した生産性改革により改善できるはずだとする。観光立国の推進だけでなく、他の分野においても輸出拡大施策が必要とする。

 では中小企業における規模拡大をどのように進めるのか、著者は買収や統合、業種転換などをその手段と考えている。一時的に失業者が増えるにしても、いずれ旧人材を再教育して新産業の担い手にするのだから、公的な支援を手厚くすれば大きな社会問題にはならないと楽観的だ。その背景には日本はいずれ極端な労働力不足になるので労働のミスマッチは時間をかければ解消できるとしている。私もこの見解に総論賛成である。一方で多くの商店街の八百屋さんや魚屋さんが消えてしまうのは些か寂しい気もする。

 このようなプロセスで最低賃金の引き上げ、生産性の拡大、成長軌道の回復が実現できればややインフレ基調になるのでデフレ懸念は払拭できる。税収もふえるので財政問題も時間はかかるが、危機を脱するものとする。諸外国との比較を丹念に行い、人口減少下の日本に必要な対策を生産性の向上と最低賃金の引き上げに求める著者の見解には同意できる点が多い。経営が厳しい中小企業に補助金を支給して生きのびさせるだけでは、生産性の向上につながらないのは明らかだ。

 近年、我が国でも賃金引き上げは政労使で取り組みの本格化が始まっている。生産性向上についても多くの学者、評論家がその必要性を論じるようになってきた。しかし、その実現に必要な構造改革は戦後の体制を大きく変えることであり、政労使の決意と腕力を必要とする。現政権も最低賃金の引き上げには取り組んでいるが、岸田首相の「新しい資本主義」に中小企業の生産性向上、サービス業の構造改革などに有意な政策は見当たらない。著者の言う取り組みは、誰もがその必要性に気づいていながら、構造改革をすれば誰かが傷つくことは自明であり、とりわけ選挙の票を減らしたくない政治家は与野党を問わずそこを避けて通ろうとする。それでもあえて火中の栗を拾う覚悟の政治家、経営者が出てくるのであろうか。政治家、経営者だけでなく私たち国民全体の覚悟が問われているのかもしれない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

         『温故知新の旅 20年ぶりの台湾』
───────────────────────────                           

                      福山 忠彦


 私は現役時代1998年から2003年の間で30回ほど台湾に行きました。台北と台中が主な訪問先で各々の滞在は2泊3日と短期間でした。爾来20年が経ちました。懐かしい思い出の地です。その後、2004年に当時世界一の高さ509メートルの超高層ビル「台北101」が、2007年には台北と高雄間345kmを最高速度300kmで結ぶ新幹線が開通しました。工業力の進展も目覚ましく鴻海精密工業は2016年に日本のシャープを買収し、TSMC (台湾半導体製造)社は日本の熊本市に半導体工場を来年末に稼働させます。

台北の町の変貌と今の人々の生活を訪ねてみました。

・台湾は1949年に成立し1971年まで国連の常任理事国を継続
 先史時代から原住民族が住んでいました。1624年にオランダ人が来島しその後はスペイン、明、清、日本を経て1945年に蒋介石総統(台湾では蒋中正と呼びます)が台湾を含む中国全土を掌握しますが、毛沢東との戦いに敗れ1949年に台湾に逃れ台湾を中華民国とします。これが現在の台湾の始まりです。中華民国は国際連合の設立メンバーであったため台湾に移っても国連の5か国の常任理事国の1つでした。
 しかし、1971年のアルバニア決議(国際連合決議2758)により中華民国は国際連合から追放され、中華人民共和国(共産党)がその議席を占めました。同年には米国ニクソン大統領が歴史的中国訪問をし、蒋介石は失意のうちに1975年に87歳の生涯を閉じます。1971年まで国連加盟国であり、しかも常任理事国でした。今は中華人民共和国がその座を占め「一つの中国」を訴えています。

・現在4か月の徴兵制度ですが2024年1月から1年間に延長
 蒋介石が台湾に移った1949年に中国共産党の軍事力に対抗するため徴兵制(2年間または3年間)を採用しましたが、予算削減のため徴兵期間を4か月間に短縮し志願兵を中心として現在に至っています。しかし、蔡総統は「自衛力を強化してこそ、国際社会からより多くの支持を勝ち取れる。台湾が十分に強ければ、戦場にはなりえず若者も戦地に行かなくて済む」と国民に理解を求め、2024年1月から1年間の徴兵制度が実施されます。

・核保有は証拠もなく進行中の計画もないとIAEA(国際原子力機関)は判断
 ウラン濃縮やプルトニウム生産の技術力は保有していると見られていますが、現在の原子力プラントはすべて輸入濃縮ウランを使用しています。2006年、IAEAは台湾を「すべての核燃料が原子力発電で平和用途に使用されている国」のリストに載せています。アメリカもまた台湾海峡の緊張を望まず一貫して台湾の核武装に対して反対の立場をとっています。

・デジタル担当大臣オードリー・タンはコロナのマスク不足を解決した世界的著名人
 蔡英文政権の現在42歳の「天才デジタル大臣」です。デジタル技術とシステムで政府の抱える問題を解決し、政府と民間のコミュニケーションの促進と強化を図るため、より多くのアイデアと力を結合させることを使命と考えています。中国共産党と台湾は地理的には近くても正反対の価値観を持つとし、中国共産党がITを民衆の監視及び制御に利用しているのに対し、ITは開かれた民主主義に使うものと述べています。彼の理念は「徹底的な透明性」で公開できるあらゆる情報をインターネットで開示し政府の官僚や大臣の行動把握や、何を考えているかを知り「人々が国家の主人」というビジョンを掲げています。2022年に初代の数位発展部の担当大
臣に選ばれ現在も職務を続けています。

・台湾の現在のランドマークは超高層ビル「台北101」
 20年前は台北の国際飛行場は「中正国際空港」と蒋介石の号である「中正」を冠した名称でしたが、2006年末より「台湾桃園国際空港」に名称変更しています。蛇足ながら2024年1月の総統選の候補者は初めてすべて台湾生まれで中国生まれはいません。故宮博物館、中正記念堂、円山大飯店が台北市内の著名な建物でしたが今は超高層ビル「台北101」がNo.1のランドマークです。宝塔や竹の節状のビルを8つ積み重ねた形状を持つ100階建てです。地震よりも風圧による振動を抑える構造のオフィスビルで、展望台からは市内が一望でき連日観光客で賑わっています。

・IT活用は民間レベルでは日本との大きな相違は見つからず
 銀行、レストラン、タクシー、土産物品店、ホテル、飛行場などでIT化を日本と比べてみました。さすがに20年前とは比べられないくらいIT化は進んでいますが、今の日本と同じレベルと感じました。タクシーはアメリカ並みにウーバーの機能を持つシステムがあるに違いないと思っていましたが、カード払いできるタクシーは少なく現金払いの方が多い有様でした。レストランはロボットが配膳を担当しよく働いていました。所持金額が少なかったので銀行に行きましたが両替処理は日本と一緒でした。一番感激したのは店員さんや道を聞いた方々の親切心でした。若者の英語のうまさと親切さに感謝の旅でした。20年前に比べると親日さが増していると感じました。

・交流を深め中国と大事に至らぬよう安心、安全、平和を目指しましょう
 2019年の日本から台湾の旅行客数は217万人、台湾から日本へは409万人でした。これは韓国からの訪日者数の半分ですが韓国は台湾の倍の人口であることを加味すると同レベルです。私たちは巨大な中国ばかりに目を向けますが親日国台湾へも関心を持ちましょう。そして協力して安心、安全、平和を目指しましょう。


編集後記
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明けましておめでとうございます。

本年も宜しくご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

 今年の干支・甲辰は「あまねく光に照らされ急速な成長と変化が起きる年」ということで縁起のいい年といわれております。
村上瑞祥氏(歴史学者・東洋古代思想史研究家)によると、「ありとあらゆるすべてに光が当てられ大きく変化する年ではあるが、一面、陰の部分にも光が当たるので人目につかず隠してきた部分にも光が当たり、秘事が白日の下にさらされることもあり、また、殻を破って変化や成長をするためには揺れ動きもある」年と指摘されています。

 今年はロシア、アメリカの大統領選挙をはじめ世界的に選挙がが多く、その結果次第では諸事に変化が起こりやすい年になりそうです。国際的にはなかなか難しい環境のように思われますが、あらゆる努力により我が国にとっても皆様にとっても、光に照らされ急速な成長と変化が期待できる縁起のいい年になることを祈念いたしたいと思います。

 今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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 第480号・予告
【 書 評 】 西川紀彦 『いま「憲法改正」をどう考えるか』
            (樋口 陽一著 岩波書店)
【私の一言】 加藤 聡 

           『高齢者にとっての生きがいとは

            -長期化する人生への対応 』
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                        2023年12月15日                                                                                                                                                               VOL.480

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 第480号・目次
  【 書 評 】 岡本弘昭 

      『平等バカー原則平等に縛られる日本社会の異常を問う』
       (池田清著 扶桑社新書)
  【私の一言】 幸前成隆 『兼聴できるか 』


 
【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇『平等バカー原則平等に縛られる日本社会の異常を問う』
◇        
(池田清著著 扶桑社新書)
└─────────────────────────┘
                      岡本 弘昭


 著者池田清彦氏は早稲田大学国際学術院教授。専門は進化生態学、生物多様性、環境・生態論、科学社会学。エッセイスト。
 最近の我国の国民には何が何でも平等を主張する風潮がある。加えて行政はその風潮を慮る傾向がある。そのため結果として、誰も得をしない、あるいは全員が平等に損をするという事態が生じている。しかし、歴史を振返れば平等という概念は、権利に関するものであり、さらに、人間は能力や環境等で個人差があり、そもそも不平等なものである。そのことを配慮せずにあるいは無視して原則平等主義に走った場合、もともと不平等なところに平等を施しても結果は不平等のままか、さらにその差が広がることも生じる。本書は、このような非合理性の現実について考える材料を提供し、なんでも平等としないと収まらない平等主義者(本書では平等バカ)に、改めて考え直す機会を与えている。そういう観点から本書は参考になる。

 主な概略
 東北大震災時に、大きな避難所に500人程度の老若男女が避難していた。そこに“支援物資”として毛布300枚が届いたが、この枚数では避難者全員に行き渡らないということで、誰にも毛布の配布は行われなかったという事実がある。これは平等に毛布を配らないという方針が選択された結果であるが、病人、高齢者、婦女子等の弱者がその判断の犠牲になった。
                     
 現代の日本社会を見回すと、上記のような「平等」に拘泥するあまり、好ましくない事態が起きる事例が蔓延している。これは、国民の側に「平等が正義」とし、上っ面の『平等』だけを追い求める『平等バカ』の存在があり、同時に、行政にもそれを慮る無責任主義という問題もある。しかし、世の中には、時にはあえて平等を選択しないことが必要なケースもある。『平等バカ』の先にあるのは、非合理な事態であることは上記のとおりである。なお、「平等バカ」の存在の背景には、日本社会全体に自分と同じようなタイプの人が自分よりちょっとだけいい思いをするのが許せないという嫉妬羨望システムというムードがあるためといえよう。

 「平等」とは、差別がなく皆等しいという状態を指す。従って、「平等」を最重要とし最優先とすべきケースもある。しかし、長い歴史の中で勝ち取った「平等」は、権利という観点の「平等」である。人間で「平等」なのは、命が一つでいつかは死ぬということぐらいで、身体的な能力も頭脳的な能力も環境も決して平等ではない。
従って「平等」を考えるうえで重要なのは、人間はそもそも「不平等」であるという視点である。もともと「不平等」なところに、見せかけの「平等」を施しても、結果は「不平等」のままか、場合によっては、さらにその差が広がることもありうる。これは時には、あえて不平等を選択するのが必要なケースもあるということを意味する。
 
 世の中の仕組みには、人がもともと平等であるかのふりをして成立している事が山ほどあり、これはさらなる不平等がもたらされる可能性がある。例えば、日本の場合、公立の小中学校では明らかに支援を要すると判断されない限り、同じ学校であれば基本的には全員同じ授業を受ける。しかし、人の頭脳は平等でなく受手の方に差があるのに同じものを与えればますます差は大きくなる。一律の授業で平等の成果はえられないし、平等主義の教育では、多様な人間や天才は伸び悩む、あるいは育たない可能性があり、それは不平等につながる。これは、経済格差、公平ではない消費税などにもみられる。

 「平等」というのは、英語ではequalityであるが一律もequalityと訳されることが多い。つまり「平等」とはきわめて一律に近い概念ととられる。
一方、「不平等」を何らかの手段で是正することで得られる結果的な「平等」というのは、impartiality(偏りがない)であり、それは公平と言い換えらる。                                                              我々が現実に求めるべきは公平であり、上っ面の「平等」を追い求める先にあるのは実は不公平である。これを避けるためには、一律的な平等は時としては深刻な不平等・格差にもつながることを意識して、それぞれ個人が自分自身でしっかり情報を収集し、公平の観点からもよく考えて対応することが不可欠といえる。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

             『兼聴できるか』
───────────────────────────                         

                     幸前 成隆
 

 兼聴できるか。兼聴するとは、広く意見を聞くこと。
 明君は兼聴し、暗君は偏信する。

唐の太宗が、魏徴に、「何をか謂いて、明君、暗君となす」と聞かれた。魏徴、答えて曰く、「君の明らかなる所以のものは、兼聴すればなり。その暗き所以のものは、偏信すればなり(貞観政要)」。

 上になると、側近が情報を上げなくなる。
「上れば、聾瞽なり。その壅蔽する者、衆ければなり(呻吟語・治道)。しかし、
「上の政をなすや、下の情を得れば治まり、下の情を得ざれば乱る(墨子)。だから、兼聴が重要となる。

 古くから、種々の教えがある。
 詩経には、「先人言えるあり。芻蕘に詢うと」とある。芻蕘とは、草を刈り、芝を刈る人。庶民のことである。

 書経には、尭、舜が、「四門を闢き、四目を明らかにして、四聡を達す」とある。
都の東西南北の四門を開いて、賢者を集め、広く意見を聞いて、政治に活かした。
「故に、共鯀の徒、塞ぐ能わざりしなり。靖言庸回、惑わす能わざりしなり(貞観政要)。

 兼聴するかどうか。「人君、兼聴して下を納れなば、貴臣、壅蔽するを得ずして、下情、上に通ずるを得るなり(貞観政要)」。
  

編集後記
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 来年2024年は、甲と辰が合わさる甲辰(きのえたつ)年です。「この年は、甲とは「甲乙丙丁~癸」の始まりであり、物事の始まりととらえることができ、辰は発芽した植物がしっかりとした形になる、勢いと大きな力、成功ととらえることができる。
従って、甲辰年は新しいことを始めて成功する、いままで準備してきたことが形になるといった、縁起のよい年」という見解があるそうです。
 来る新年が、皆様にとり縁起のいい年となることを祈念申し上げつつ、本年一年のご支援・ご協力に心から御礼申し上げます。
よい年をお迎えください。(H.O)

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 第480号・予告
【 書 評 】 三谷 徹『日本人の勝算 』
          (デービッド・アトキンソン著 東洋経済新報社)
【私の一言】 福山忠彦『温故知新の旅 20年ぶりの台湾 』
               
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                       2023年12月1日
                        VOL.479

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第479号・目次
【 書評 】片山恒雄『生命の意味論』(多田富雄著 新潮社)
【私の一言】庄子情宣『日本の将来とシルバーデモクラシー』

    
【書 評】
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◇          『生命の意味論』
◇          (多田富雄著 新潮社)
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                    片山 恒雄

 著者は免疫学の世界的な権威であるが、一方において免疫をテーマにした能の戯曲を著作するなど洒脱な一面も持っている。最近のコロナの流行により、抗原、抗体および免疫などの言葉が、メディアにたびたび登場している。抗原は外から人体などに入り込んだバイ菌の一種である。抗体は抗原が体内に入り込んだ時、これを迎え撃つ蛋白質の一種である。我々が受けたワクチンの接種は抗体を体内に作り出すためのものである。
一方免疫とは生物の個体が「自己」と「非自己」とを識別して、自己を守るための機構の一種である。免疫の働きを担うのは、白血球やリンパ球など血液に含まれる一種の細胞である。

 二十世紀における科学の三大壮挙とは、量子力学と相対性原理およびDNAの二重螺旋構造の発見と言われている。特に最後に挙げたDNAという遺伝子の発見は、1953年に二人の若い科学者、ジェイムス・ワトソンとフランシス・クリックによるもので、三十億年前に地球上に誕生した生物の基本設計図であり、人間ばかりかミミズや大腸菌にも共通している。こうして分子生物学を根底から塗り替えてしまった。

 西欧文明、例えばキリスト教では、神によって保証された人類のみが、ほかの動物を支配する権利を与えられていると説く(創世記)。一方、東洋特に仏教では、「草木国土悉皆成仏」という言葉が示すように、生命のあるものはすべて平等であると説く。
仏教思想はDNAの発見を予見していたと考えられなくもない。

 人間の体内の三千億個以上の細胞が毎日死に、ほぼ同数の新しい細胞に置き換えられる。それなのに、「自己」はさほど変わることなく自己としてのアイデンティティを保ち続ける。いったい自己とは何なのか。受精卵が細胞分裂していくどの過程で、自己が生まれる(覚醒する)のであろうか。植物の枯葉は風に吹かれて散っていくのではない。「立ち枯れ壊死(えし)」するのである。植物の細胞も自ら死のプログラムを発動させて、積極的に落葉することが最近分かった。「壊死」はギリシャ語でアポトーシスという。アポは「下に、後ろに」、トーシスは「垂れる、落ちる」を意味する。ここから「死」の現象を研究する生物学がスタートする。「生」の生物学と比べてずいぶん遅い始まりである。アポトーシスは人間の性の決定にもかかわっている。
男性生殖器の輸精管の大もとになるウォルフ管は、男性ホルモンの影響で発達するのであるが、その時女性生殖器の輸卵管の大もとであるミューラー管がアポトーシスによって退縮していく過程が絶対に必要である。ミューラー管の細胞が死ぬという過程が起こらなければ、男性生殖器は完成しないし、人間はみな女性あるいは両性具有者になってしまう。
言葉は魔力を持っている。アポトーシスというギリシャ語が生物学者の知的好奇心を刺激し、遅まきながら死の生物学がスタートしたのである。

 人間は死んでもDNAは子々孫々受け継がれて存続して行く。こうして見ると生DNAを利用しているのではなく、DNAが生物という乗り物を利用して、三十億年にわたり、辛抱強く生命の進化を手伝ってきたという逆転の発想が真理に思えてくる。
中国の古い話に、蝶になった夢から覚めた人間が、「果たして自分は人間なのか、人間になった夢を見ている蝶なのか」を自問している話を思い出す。

 ソ連のウクライナ侵攻により、現在世界は二分されているが、そのわずか前には世界の生物学者が協力して、短い期間でゲノム(DNAの全体像)を解明したことを忘れてはならない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆

    『日本の将来とシルバーデモクラシー』
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                    庄子 情宣 
 我国の今後の人口の推移は、国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、100年後2120年の総人口は5000万人を割り込んで4973万人になる。2020年の1億2614万人だった人口は100年後の2120年には100年前の4割相当にまで減ることになる。さらに問題は人口構成の高年齢化の比率が年々高くなり、2120年の人口の年齢別構成は、65歳以上が2010万人とおよそ4割を占め、一方0~14歳は445万人と1割以下、15~64歳の生産年齢人口は2517万人で2020年の7508万人からは5000万人ほど減少する。(中位推計 日経2023年6月5日)
つまり、我国の人口減少も少子高齢化も100年後も続いているということである。
                             
 ところで世界では、所得水準の高い国の人口は一般的に減少しつつある。この傾向は大国米国、ドイツも例外ではないが、両国は移民の受け入れによる人口対策、ITの取入れによる製造業の革新、IT・金融など成長分野への産業集積等による経済力の向上などで、早い時期から人口減対策、経済力対策を講じ、それなりの効を奏し国力を保持してきている。これに対し、我国では人口増対策として、出生率の向上等、様々な政策を行いつつあるが、移民については慎重な対応であり、また、製造業の転換、新産業への産業シフト等経済力の向上は遅れている。この結果、GDPは、現在の世界3位からドイツに、さらに近々にはインドにも抜かれ5位に落ちる可能性もある。
さらに一人当たりは世界で31位に落ち込む等、国力は急速に低下しつつある。現状のままでは100年後もこの傾向は改善されないと推測される。これではイーロン・マスク氏の「出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ存在しなくなる」との指摘を待つまでもなく我国はいずれ消滅する。また、その間、国力はどんどん退化し国際的にも存在感がなくなる可能性が高い。従って、我国は国を挙げてこのような状況の改善に努力することが喫緊の課題である。

 米中央情報局(CIA)分析官だったレイ・クライン氏は1975年、国家が持つ力、すなわち国力とは、国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)で表されるとした。これに従えば、我国が至急対応すべきことは、100年後も人口減が続くという中でも国力が保てる戦略目的+国家意思=国家のビジョンの策定である。
つまり、人口減の中でも生産性を向上し経済力を維持することである。これには技術力の向上による生産性向上と新産業分野への産業転換と考えられる。しかし我国はかつて技術立国を目指しそれなりの効果を得てきたが現在は、技術劣化が指摘されている状況で、第4次産業革命の波にも乗遅れる可能性もある。

 資源のない我国は改めて技術立国を国家目標におき、100年後も人口減が続く事をふまえ、直ちに技術立国を目指すための諸策を講じる必要がある。具体的には人材育成であり教育改革である。また、知的水準の高い移民の受け入れも考えられる。
このためには、限られた予算のバラマキではなく重点分野への優先的投資をする体制整備が不可欠である。つまり現在の諸制度を徹底的に見直し、中でも現行の小選挙区選挙制度の見直し、高齢者を優遇する結果となっているシルバー民主主義の見直しによる恒久的実行予算の確保が急務である。これには、政治家を筆頭に国民、特に高齢者の我国の現状及び将来への認識が前提となる。


編集後記
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 最近の国際情勢について、「最大の問題は国際間の紛争の多発です。世界はロシアによるウクライナへの侵攻で分裂が鮮明になり、その後、国際社会は問題解決のための協調の精神を失ったように思われます。その結果、世界のいたるところで争いの種が芽を出し、そのまま戦いへと発展しています。そして火は、もしかしたら世界で最も危険な地域に広がってしまったのかもしれません。」という島田久仁彦氏の指摘があります。
 国際社会の協調による問題解決を祈るばかりの年末になりました。あらゆる紛争が早期に解決されることを願うのみです。

 今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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 第480号・予告
【 書 評 】  岡本弘昭
 『平等バカー原則平等に縛られる日本社会の異常を問う 』
            (池田清著著 扶桑社新書)
【私の一言】  幸前成隆『兼聴できるか 』
               
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                             VOL.478

              
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  第478号・目次
 【 書 評 】  吉田龍一 『 なぜヒトだけが老いるのか 』
                                   (小林武彦著 講談社現代新書)
 【私の一言】  幸前成隆 『よく人を用いる 』


    

【書 評】
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◇         『なぜヒトだけが老いるのか』
◇           (小林武彦著 講談社現代新書)
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                                  吉田 龍一

 著者は本書を上梓した動機について次のように語っている。
「前著『生物はなぜ死ぬのか/講談社現代新書』で、生物学的な死の意味、死ぬという性質を持つものだけが進化することができ、今でも存在する。だから死は必然的であると指摘した。」これに対し、「歳を取ったらあとは死ぬだけなのか」というご感想があった。それは私の本意ではなく、生物学的に死には意味があるけれど、「歳を取ることにも生物学的に大切な意味があり、ただ単に死に至るための過程ではない」「死にも、老化にも意味がある」ということをお伝えしたかった」。

 具体的には、「死」はすべての生物に共通する絶対的なもので、多くの動物は生殖可能な期間が過ぎるとすぐに死んでしまう。生殖能力を失っても長く生きる、つまり「老い」の期間があるのはヒトとシャチとゴンドウクジラぐらいのものである。一方、生物が持つ全ての性質は、進化の結果であり、「老い」のある動物にはそれなりの意味・背景がある。ヒトの「老い」にも生物学的な意味がある。おばあちゃんの仮説によれば、ヒトは子育てに手間がかかる生物で、おばあちゃんが孫の世話をする必要が生じ、それにあった個体の遺伝子が結果的に多くの子供をもうけるのに有利であり、長生きする個体が生き残っていると考えられる。さらに、おばあちゃんの役割には、単に「子育てを手伝う」という役割から、「世代を超えて情報を伝達することにより情報を共有したり維持したりして、芸術などの文化を生み出す」という役割まであるともいう。つまり、人の場合、集団の知恵を蓄積し結束をはかるのに老人は役に立ち、老いる人がいることで有益な情報などが伝わり進化に及んできたとみられる。これは、生物学的に言う、「老い」が長い種が生き残ったという解釈になる。

 ところで、現在は生物学的に見るとヒトの寿命は55歳程度のはずなのに、ゲノムが壊れにくく90歳に近い寿命をもち人生の40%は老後とも言える。この老後の期間をどう生きるか。

 著者は、生物が持つ全ての性質は進化の結果であり、「老い」が長い種が生き残ったというのが進化の歴史であった。具体的には、ヒトは集団生活が発達した共同体である社会に属して生きてきた社会性の生き物であり、集団の結束力で生き残ってきたが、そこではおばあちゃんの仮説にみられるように、老人の経験による公共的な活躍が重要な要素であった。つまり、「老い」はヒトの社会が作り出した現象であり、老いた人のいる社会が選択されて生き残ってきたといえる。この観点からすれば、今後とも男女共に年を重ね、感謝や利他の精神で集団の知恵を蓄積し結束をはかることがヒトにとって必要なものといえる。ただ、「老い」のあるべき姿はそれなりの内容を持つものである必要がある。

 本書の構成は7章からなるが、第4章以降は「老い」のあるべき姿への著者の提言である。それは現代の老人の在り様に対する批判ともとれる老人論でもあり、特に高齢者は参考にすべきことも多い。読みやすい本である。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

              『よく人を用いる』
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 事の成否は、人をよく用いるか否かにある。十八史略に、漢の高祖が天下を得た所以を問うた話が出ている。 

 あるとき、高祖が洛陽の南宮で酒宴を開いて、「徹侯諸将、皆言え。吾れの天下を取りし所以は、何ぞ。項氏の天下を失いし所以は、何ぞ」と、尋ねた。
 高起・王陵が、陛下は戦いに勝つと、その利を分け与えられたが、項羽はそれができなかったのが、違いだと答えた。
 これに対して、高祖は、あなた方は一を知って、二を知らないと言った。
 曰く。「籌を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、子房に如かず。国家を填め、百姓を撫し、餽餉を給し、粮道を断たざるは、蕭何に如かず。百万の衆を連ね、戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、韓信に如かず。この三人は、皆人傑なり。
吾れ、よくこれを用う。これ、吾が天下を取りし所以なり。項羽は、一の范増あれども、用いること能わず。これ、その吾が禽となれる所以なり」。

 攻略をめぐらすのは、張良にかなわないし、国政を治めるのは、蕭何に及ばない。また、軍事になると、韓信にかなわない。しかし、この三人を使いこなせたのが、天下を取った理由で、項羽は、傑物の范増を使いこなせなかったから、負けたのだ。

 高祖が張良の献策を用いたから、張良も心服し、また、韓信を斎王とし、上将軍の印綬を授けたから、韓信は裏切らなかった。一方、項羽は、范増に「豎子、謀るに足らず。将軍の天下を奪わん者は、必ず沛公ならん」と言わしめた。

 よく人を用いるには、度量が必要である。


編集後記
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 今年の立冬は11月8日でした。「冬の始まり」である立冬までは各地で真夏日が続いていましたが、立冬が過ぎると急速に冬日が始まりなした。秋は完全にパスされたようで、体が冬に馴染まずに体調を崩す人も多いようです。ところで、例年年明けに流行するイメージがあるインフルエンザですが、今年は各地でその注意報が11月から発令されているようです。「強いウイルスが流行ると、他のウイルスが流行らないそうで、新型
コロナの感染が下火になった9月ごろからインフルが一気に流行り始めたということのようです。
 一難去って、また一難、の感がありますし、今年のインフルエンザは複数回感染する恐れもある特徴もあるようです。年末も近いことでありくれぐれもご自愛の上お過ごしください。

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                        2023年11月1日
                                 VOL.477


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【 書 評 】  桜田 薫 

                    『 日本経済の見えない真実 』(門間和夫著 日経BP)
【私の一言】  福山忠彦

                     『「和をもって貴しと為す」で世界に規範を示そう』



【書 評】
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◇         『日本経済の見えない真実』
◇                (門間和夫著 日経BP)
└─────────────────────────┘
                       桜田 薫


 著者は元日銀理事のエコノミスト。日本経済の課題全般に亘って中長期的な視点で論じる。教科書のない条件が支配する日本経済には頼れる羅針盤が乏しく、政府や中央銀行の経済政策は、限られた知見に基づく試行錯誤の連続という。アベノミクスの大胆な金融緩和は壮大な実験だった。日本の低成長の原因は、多くの専門家が主張した金融緩和の不足ではなかった。金融緩和の効果で株高、円安、雇用増加はあったが、最大課題だったデフレ(物価下落)は解消されず、90年代前半から1%に低下していた潜在成長率は、0.5%に下がった。しかし著者は何もしないより、やった方がよかったという。日本は失われた30年といわれるが、米国も一時的なIT景気はあったが大局的には日本と変わらない。タイトルを「日本経済の見えない真実」にしたのは、メディアなどを通じて一般に理解されている経済常識には誤解や言い過ぎがあると指摘するためだ。これは特に政府債務が論点になる。以下に著書の一部を紹介したい。

*政府の国債発行残高が膨大になっているので、財政破綻を懸念する声がある。しかし国債が自国通貨建てで発行されている以上、日本でデフォルト(国債が償還できなくなること)は起きない。国が新たな国債を発行して中央銀行が買い入れるからだ。しかしインフレが高すぎる状態の時に日銀が国債買い入れを続け、政府が財政支出を続ければインフレの歯止めがかからなくなる。激しいインフレになればその後は厳しい財政緊縮や金融引き締めが必要になる。これは財政が持続可能でなかったということだ。「財政破綻」「財政危機」とはデフォルトでなく、その前の公共サービス削減など財政緊縮を行わざるを得ない状況のことである。政府債務残高の大きさには関係なく、インフレやバブルを起こさないためには金融政策でなく適正な財政政策が重要である(現在の物価は2%を超えているが、供給側の原因によるもので物価上昇は長く続かない。著者はむしろデフレ復活を懸念している。持続可能な財政のあり方について著者の提案は省略)。

*政府債務残高が大きいと何らかの理由で金利が上昇するか、それほど影響しないか、相反する理論がある。その原因と対応について説明を省略して結論をいえば、中央銀行は国債満期の長期化などで金利の上昇を抑えることができるので、この理論は重要でない。唯一、財政破綻に通じる可能性は異常なインフレ、すなわち景気悪化と物価上昇が併存する場合だ。その原因は、新興国で時々見られるような深刻な物
資不足がある場合で、戦乱など非経済的な要因が多い。供給不足が生じれば需要を抑えるために大幅な利上げを行う可能性がある。政府は債務残高の心配より、強い供給基盤を整備しておくことが重要だ。

*政府の債務残高を減らすべきとする主張がある。債務残高の対GDP比率が低下する条件は、国債金利を名目成長率より低いこと(ドーマーの条件)とされ、財政規律論者と財政拡張論者の間には国債金利と名目成長率のどちらが低いかという論争があるが、それはあまり意味がない。大局的にみると二つの間に大きな乖離が生じることは少ないこと、二つの間の大小は時期によって異なること、本当に財政破綻が起きる時にはインフレも金利も大幅の高まっている可能性が高いからだ。政府債務残高は約30年にわたり大きく上昇し続けているが、それが原因で問題が起きたことは一度もない。

*政府債務残高を将来いずれかの時点でゼロになるという予算制約式の理論がある。
「借りた金は返すべき」という個々の債務契約にある考え方だが、「借り換え」は可能で回数の制限もない。政府の債務はそのまま民間の資産になっているので、政府債務をゼロにしなければならないとすると、民間金融資産をゼロにしなければならないことになる。民間の経済主体には、自ら最適と考える金融資産を保有する権利がある。政府債務残高が大きすぎるというには、民間金融資産が大きすぎるといわねばならない。政府債務のGDP比率の議論はあるが、民間の資産残高のGDP比率を下げるべきとする議論が全くないのはおかしい。関連して著者が違和感を持つのは、国債が将来世代の負担になる」という考え方だ。それは結局のところ「借金は税金で返すべき」ということになるが、将来世代に向かって、「あなたの世代から金融資産を保有してはいけない」と宣言するような理不尽な表現だ。これに強いて理解しようとすれば、放漫な財政運用で政府の赤字を拡大させると、将来のある局面で厳しい緊縮財政を迫られ人々は困窮するという意味かもしれない。しかし、これは国債残高そのものが現在世代の罪であるという誤った印象を与える。

*財政の持続性との関連で「賢い支出」(Wise spending)という議論がある。
 中・長期的な経済成長に資するような支出は増やしてもよいが、それ以外は抑制すべきという考え方だ。著者はこの主張に無理があると主張する。詳細を省略するが高齢化社会の社会保障や科学技術の基礎研究など経済成長と関係なく必要な支出が多くあるからだ。「賢い支出」主張の背景には政府債務を抑制すべきという前提があるが、その手段として経済成長を位置づけるのはおかしい。また前項(将来世代の負担)の議論にも関係するが、公共投資は有効かつ公平な中身でなければならないのは当然としても、例えば使われない施設を作ったりした場合、国債発行で賄われたお金が無駄になったと批判がある。他に選択する対象があればベターな支出があったという批判はあってもよい。しかし無駄だった施設であってもそれを作った人の所得は増える。それが民間の金融資産の増加になり、その効果は永久に残る。
 この説明は次のコロナ対策で12兆円を国債発行で調達した場合も同じだ。この大半が貯蓄に回ったことの批判があるが、消費されたお金は小売店や飲食店の預金に移動し、使われなかった分も家計の預金として民間金融資産は12兆円増えた。将来世代はやがて増えたままの資産を受け取ることになる。ベターな給付はあるかもしれないが、苦しむ人への所得補填が目的だからここでは評価対象にしない。正当な批判が起こりえる可能性12兆円が消費を喚起し過ぎてインフレを引き起こすことだが(米国の巨額給付は供給不足を奪い合った)、日本ではそれは起きなかったし、貯蓄を増やして安心感を高めたといえる。公平性などで反省すべき点はあるとしても無駄というのは違うのではないか、と著者はいう。

以上は本書の一部で、要は「政府債務を着実に減らすべきという論理に縛られて将来世代のために必要な経済・社会課題の解決を遅らせてはならない」ということだ。本書全体は日本経済が直面する多くの経済課題を論じ、参考になる提案が行われている。
たとえば賃金はなぜ上がらないか、中小企業の政策支援の問題点などだ。経済理論は学者によってしばしば正反対だ。現実がその真偽を明らかにするだろう。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  『「和をもって貴しと為す」で世界に規範を示そう』

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 5年ほど前から私は「今の資本主義社会は曲がり角、新しい社会システムの構築が急務」と訴えています。その理由として「地球資源の乱開発、異常気象の誘発、地球温暖化」、「貧富の差の拡大、年々増加する貧困層」、「資本主義の要である銀行の社会的役割の低下」などがあります。これからは「リサイクル」と「シェアリング」を基盤とした循環共生主義(CIRCULISM)がやってくると訴え続けています。しかし、それでは済まない世界情勢です。私たちの安全と平和が脅かされています。人々が未来に希望の持てる安心した生活が出来る社会が求められています。政府も役立つことを
次々と行っていますが、国民の心からの賛同を得ていないようです。一本貫く何かが足りないからです。日本はこんな国だと言う国是ともいうべきものがないため、右顧左眄することになり海外からも軽く見られることになります。国是を知ればその国の性格を知ることが出来ます。国是の形成は、その国の建国の歴史と深くかかわっています。長期的に遂行されているものであれば、法律として明文化されなくてもかまいません。連綿と続く民族が守ってきた教えの事です。日本は民主主義陣営の中枢国です。アメリカとは同盟国であり、決して日本は従属国ではありません。世界の先進国がどの国も揺らいでいます。「日本の復活」と「世界の規範となる国」になることを私たち国民は願っています。今年、日本は長いあいだ低迷を続けた各種の経済指標が上向くと期待されています。この機会に日本・日本人は「和をもって貴しと為す」を国是とした古い由緒ある国であると世界に発信してはどうでしょうか。世界を「和をもって貴しと為す」に染めて、争いのない、平和で安心出来る社会を作りたいと思い
ます。


・1,400年前に聖徳太子が定めた17条の憲法 第1条が「以和為貴」
真っ先に書かれたのが「以和為貴」(和をもって貴しと為す)です。これが発布されたのは604年、推古天皇の時代です。「17条の憲法」が単体で残っているわけではなく、「日本書紀」の中にその記述があります。時の王子である聖徳太子が、家柄ではなく実力で評価する冠位12階を定め、その翌年の604年に役人の心構えを17条の憲法で規定しました。この条文の補足として「和という概念を大切にしましょう。これを外す事のないようにすることです。上の立場に立つものが調和を理想として下の立場の者も仲良くしてあれこれと議論をすれば、物事の道理はおのずから通じるようになり、ど
んなことでもうまく行くようになるものです。」とあります。
そのほか、10条 「不怒人違」(価値観の違いを認め、他人の意見を尊重しよう)、
第15条 「背私向公」(私情を挟まず公務に向かう姿勢が「和」の実現にはとても大切です)、
第17条 「不可独断」(みんなで知恵を出し合って合議の中で物事を決めましょう)
などを読むと和を大切にすることが、1,400年以上も前から日本人の生活に切り離せないものになっているのが分かります。

・連綿と受け継がれる「和の思想」
 明治天皇は五か条のご誓文を新政府発足早々に発せられました。それは「広く会議を興し万機公論に決すべし」 
「上下心を一にして盛んに経綸(国家を治めととのえる)を行うべし」 
「官武一途庶民にいたるまで各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す」
「旧来の陋習を破り天地の公道に基づくべし」
「智識を世界に求め大いに皇基を振起すべし」と誓いを立てられました。

近年においては松下幸之助翁が日本の伝統精神として「衆知を集める」「主座を保つ」「和の精神」の三つを挙げ、特に和の精神には調和を求め、節度を求め、自己を抑制する事を
知り、他人に配慮することであると述べています。健全な「自立」の精神も和の精神が根底にあるからこそ機能すると断じています。

・「和の精神」(調和、節度、抑制)の伝道者として世界に貢献しよう
和をもって貴しと為すと「貴し」という字を使って和を最高の規範として取り扱っています。私たちが自然と先人から引き継がれた目に見えない価値観でもあります。あらゆる面で調和、節度、抑制という和の精神を身に着けています。人間関係だけでなく自然の関係においても同様です。日本人の持つ和の精神は民族の長い歴史に培われたものです。科学技術や工業力も大切でありますが、この「和の精神(調和、節度、抑制)」は今の時代、特に大切にしなければいけません。幸い日本は世界各国から好印象を持たれ訪日観光客も年間3,000万人を越えています。日本文化も好意的に受け入れられています。その根底にある「和の精神(調和、節度、抑制)」を「世界の規範となる国・日本」と分かるように訴え続けては如何でしょうか。人類の永遠の発展と地球を守る先頭ランナーして行動することを願っています。 


編集後記
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 最近の国際情勢は、第2次世界大戦後に作られた世界の諸システムを大きく変貌させようとしているように思われます。
 そのような国際情勢の下で、我が国は人口減少、少子高齢化、低成長、貧困化といった未曽有の困難期にあります。この内外の困難期を乗り切るには、明治維新や、戦後の日本のように大胆に既往のシステムを打破し、新しいシステムを構築する必要があると考えられます。
これには大きな犠牲を必要とするものであり、政治の明確な哲学と強力なリーダーシップが必要です。

 衆議院の解散選挙が話題になっていますが、我が国は内外ともかつてない困難期にあることを頭に入れ、これに対応することが不可欠です。

 今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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 第478号・予告
【 書 評 】  吉田龍一

          『 なぜヒトだけが老いるのか 』(小林武彦著 講談社現代新書)
【私の一言】  幸前成隆 『利の大難を知らず 』
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        ■ ご寄稿に興味のある方は発行人まで是非ご連絡ください。
    ■ 配信元:『評論の宝箱』発行人 岡本弘昭
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