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                   2024年1月15日 VOL.482

          評 論 の 宝 箱
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 第482号・目次
【 書 評 】 西川紀彦 『いま「憲法改正」をどう考えるか』
            (樋口陽一著 岩波書店)
【私の一言】 加藤 聡 『高齢者にとっての生きがいとは

            -長期化する人生への対応』
               


【書 評】
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◇     『いま「憲法改正」をどう考えるか』
◇          (樋口陽一著 岩波書店)
└─────────────────────────┘
                       西川 紀彦


 この本は、2012年に自民党が憲法改正草案を公にしたのに対して、批判的な見解を述べたものを内容としている。したがって、現今の集団的自衛権を巡る安保法制法案には直接敷衍がないが、保守層の憲法改正の考え方がわかる。著者は現行憲法を維持する護憲派の学者としてつとに有名であり、集団的自衛権論議では違憲の論陣を張っている。このたび憲法とは何かを理解する一助としてこの本を購入して読んでみた。

1.まず、戦前の憲法論議を2派の対立として紹介している。
 ひとつは「建国の体」としての憲法という次の考え方で、    穂積八束、上杉慎吉らの 主張である。「一国の憲法は一国固有の国体、政体の大法なるが故に・・・・一切外国の事情及び学説に拘泥せざるを主義とす」
 もうひとつは「海外各国の成法」を参考にすべしとする美濃部達吉らの論である。
 すなわち、大体において西洋諸国に共通する立憲主義の原則を帝国憲法は採用している、憲法解釈においても必ずこの主義を基礎としなければならないとして、天皇の地位を統治権の総攬者としつつも、尊崇、敬愛の対象として国政上の地位の相対化を計っているとする。
 戦後においては、GHQに押し付けられたものとしつつも、我妻栄、宮沢俊義、清宮四郎らの美濃部門下の学者で構成した「憲法問題研究委員会」は押し付けられた不本意なものと考えた者は一人もいなかった、しかし国民は政府に押し付けることは出来なかった。つまり、憲法の「生まれ」はポツダム宣言の受託であり、その「働き」は人権の普遍性の承認であったが、「生まれ」の正統性と、「働き」の正当性が改
 正論議では問題となったのである。

2.次に、2012年の自民党の「改正草案」を詳しく説明している。
  改正は3類型に分類できる


 第一は「解釈改憲」の明文化である。
  (1)天皇を元首と表現して、国家を対外的に代表する      者と明確化する。但し、象徴性は維持して国事行為を限定的ではなく行なうものとする。
  (2)「国防軍」の明文化、その行動の規制方法は「国会の承認その他の統制に服する」とする。戦争の放棄から安全保障の強化へ
  (3)「自衛権」の明記 個別、集団を区別しない

 第二は権利保障の制限と例外の原則化である。
  (1)表現の自由は、「公共の福祉」に資するためだけではなく、「公益及び公の秩序」に資する為に認められる。
  (2)政教分離の原則は、「いかなる宗教的活動において」から「社会的儀礼、又は習俗的行為」は例外とする。
  (3)労働基本権は、公務員が全体の奉仕者として認められるのであって、公務員一般に自動的に認められるものではない。

 第三は基本の考え方の逆転である。
  (1)前文の全文書の書き換え
天賦人権説に基づく「人類普遍の原理」の文言が消えて、規定振りが全面的に見直される。
  (2)自己決定の自由な主体としての「個人」ではなく、家族や社会全体の中に置かれた「人」と位置づける
  (3)権力を縛る憲法から、国民が尊重の義務を負う憲法へ
  (4)法令で定める緊急事態要請規定の定めを新設し、何人も遵守義務を負う
  (5)改正手続きを容易にする国会議員2/3から1/2に、「権力の制限」と同時に「主権者である国民が行使する権力をも制限」してバランスを取る。

3.これに対して著者の見解は次の通り
(1)普遍の追求を断念して、「日本は独自」の立場で良い   のか
(2)権力の制限を根本に置く立憲主義の枠組みを構造転換している
(3)なぜいまの社会の大枠を壊すような改憲をしなければならないのか
天皇を象徴よりも元首として、個人の確立よりも大勢順応の人へ、国防軍になって自衛隊員の信頼性が失われないか
(4)理想主義でなく、現実主義が横行している。決める政治に流されないで欲しい

4.著者の見解は、戦後高度成長を経て冷戦終了後今日まで、学会の主流的な考えであったと思う。冷戦期のいわばアメリカ依存の安住した外部環境において、又一億総中流化の経済環境において通用する考えであった。しかし世界はどんどん変わってきた。自分の身は自分で守るあたりまえの世界におかれている今日、理想主義ばかり言っておれないのが現実である。現憲法制定時と現在とでは世界の中の日本の環境は大きく変わっている。確かに憲法は時代を見据えて30年、50年のスパンでその条文を考えなければならないものであると思う。したがって変えるべきところは変える必要がある。その論点として
(1)個人の自由、平等、博愛という普遍の追及は大前提、しかし、オールマイティの個人という考え方はとらない、社会の構成単位としての家族を重要視する、家族の中の個人である。
(2)権力の制限としてのみならず、国民主権の制限をも均等に考える
(3)国を守る軍隊としての自衛隊を位置づける
(4)自国の防衛につながる集団的自衛権は認める。その判断は国会の事前承認を原則とする
(5)天皇はいまの象徴天皇としての解釈を変更しない


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 

   『高齢者にとっての生きがいとは

           -長期化する人生への対応』
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                       加藤 聡

  

ある高齢者のつぶやき
 ある知り合いの高齢者(女性)が、「長生きはつらい。歳をとっても、なにもいいことはない」とつぶやくのを耳にした。
この人はごく普通の主婦として、夫を支え、子どもを立派に育て上げ、経済的な面でも恵まれていて、傍目には何の不自由もなく、きわめて恵まれた日々を送っているように見えた。この老婦人の家庭環境を知る私にとって、このつぶやきは意外だった。
世の中にはこのような高齢者が、けっこういるかもしれない。しかし、こういう老人が出るのは、そこの家庭だけの問題だろうか。

 高齢者に生きがいをもたせられないのは、その家庭を含めた周りの社会が悪い、それは周りの社会の責任だと割り切ってしまうのはたやすい。しかし、ほんとうに地域社会だけの問題だろうか。

 高齢者の一般的な過ごし方
 一般的には、気心の知れた仲間がいて、かれらといっしょに共通の趣味で過ごすのが楽しみだ、それが生きがいだという人は多い。趣味は、別に仲間といっしょでなくても、例えばスケッチを楽しむとか、盆栽づくりにいそしむとか、魚釣りに行くとか、ひとりで楽しめることでもいっこうにかまわない。
あるいは住んでいる地域でボランティア活動に参加し、日々地域に貢献して、地域の人から感謝されている人もいるだろう。
こどもや孫といっしょに暮らし、遊び相手になり、ときにはいっしょに旅行したり、遊園地、公園などに行っていっしょに楽しむ、というのも高齢者にとっては生きがいの大きな要素にちがいない。
 ただ、なにか「生きがい」になるようなことをもつ(身につける)といっても、周囲の条件に恵まれていないとむずかしい。
 まず、そこそこ健康であることが必要だ。そして高齢者の場合は、身近で自分を支えてくれる人、生き方を理解し、評価してくれる人がいることが望ましい。さらにいえば、周囲の社会が、高齢者が生きがいを感じられるような環境整備に力を注ぐことが期待される。

 高齢者者が生き生きと過ごすためのヒント
 高齢者が「生きがい」を感じるためには、いろいろな生活上の知恵・工夫が必要だろうが、ここでは、老後を生き生きとして暮らすためのヒントを、外山滋比古の「老いの整理学」から、いくつかを拾い上げてみる。
・笑って暮らす(緊張のストレスを発散するには笑うのがい ちばん)
・忘却は自然の摂理、悪いことは忘れる、忘れれば頭はよくはたらく 
・怒ってよし、泣くもよし、威張ってよし(威張れるもの、誇れるものがあることは生きがいのひとつだ) 
・茶飲み友だちをつくる 
・先々に楽しみをもつことは最大の活力
 
 マクロ的にみた高齢者を取り囲む状況
 高齢者を取り囲む状況について、坂井豊貴氏(慶応大学教授、環境経済学者)の小論が新聞に載っていた。
坂井氏は、長生きはリスクであることが通念として定着した。科学の発展により寿命は延びたが、社会制度や精神の働きは、人生の長期化という現象に追いついていない。
ただ生きるだけのことがまるでたやすくはない、私たちはこれほどの長命化社会を経験したことはないし、各人は人生の長期化に備えざるをえない、と指摘する。そして長期化する人生の難題に対しては、「諦念と安堵を共有できたらと思う」と結ぶ。(2023年10月19日付け朝日新聞)
 坂井氏は、諦念と安堵ということばを使ったが、どういう諦念と安堵かについては、具体的に説明していない。
いきなり諦念と安堵を共有するといわれても戸惑うが、現代の老人は、かつての世界からは心身の衰えを理由に追い立てられる縦の不自由と、パソコンや携帯電話をはじめとする新しい電子機器の登場など変わり続ける現在の世界に、容易に参入できないという横の不自由をかかえたまま、うろうろしなければならないという状況(この現状認識は黒井千次氏の「老いのゆくえ」による)に直面して、次第に社会に適応できなくなり、その不自由さがあきらめの感情につながっていくとすれば、老人がいだく「諦念」は理解できる。

 結びに代えて
 しかし、現実に高齢ながら生きていかざるを得ない者にとっては、いまの世の中の流れ、風潮をそのまま受容し、これでよしと達観することができるだろうか。いろいろ不満をかかえながらも、自分一人の力ではいかんともしがたいと、あきらめているのが実情ではないか。それが「諦念」をもつということだとすれば、それまでだが、まだ活力が残っている高齢者にとっては、「諦念」に至るまでの「何らか」の生きがいのようなものがあってもいいのではないか。
「生きがい」で満たされれば、その人なりの人生に肯定的な「諦念」が形成され、「安堵」を覚える境地に至るかもしれない。
80歳代も半ばの高齢者である私としては、せめて、残された日々を送るにあたり、なにがしかの「生きがい」を見つけ、「生きがい」を感じたうえで、「諦念」や「安堵」の境地に達したいものだと思う。
 みなさんはどのようにお考えだろうか。


 編集後記
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 能登地震から2週間も経過しつつありますが、被害状況はいまだ明確に把握出来ないようです。一方、時間の経過と共に震災関連死も増えつつあります。これは地震のあとの避難生活による体調の悪化などが原因であるということです。
対策には避難所の避難生活の環境改善が必要で、特に「TKB」が重要と言われています。これは「トイレ・キッチン・ベッド」の略で、
「トイレ」は汚いトイレを避けて清潔なトイレにすること、
「キッチン」は冷たく栄養の不十分な食事を避けて暖かい食事を意識すること、
「ベッド」は床での雑魚寝を避けて就寝環境を整えることなどを指しています。

これは行政の問題でもありますが、震災大国に暮らす我々個人としても震災に備える心構えの一つとして十分に意識しておくべきことと思われます。

 今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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 第483号・予告
【 書 評 】 片山恒雄 『 元気に老い自然に死ぬ  

             ー山折哲雄・秦恒平対談集』(春秋社)   
【私の一言】 小林基昭 『 我家の限界費用ゼロ革命から再生可能
             ーエネルギーを再考する』