〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
2023年10月15日
VOL.476
評 論 の 宝 箱
https://hisuisha.jimdo.com
見方が変われば生き方変わる。
読者の、筆者の活性化を目指す、
書評、映画・演芸評をお届けします。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
第476号・目次
【 書 評 】 片山恒雄 『昭和史をどう生きたか』
(半藤一利著 東京書籍)
【私の一言】 岡本弘昭 『長寿の内容』
【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇ 『昭和史をどう生きたか』
◇ (半藤一利著 東京書籍)
└─────────────────────────┘
片山 恒雄
著者は昭和史の第一人者である。本書は、昭和の時代を生き抜いた12名の識者との対談集である。そのうち3名の分を抜粋して書評としたい。(敬称略)
〇対話者(以下同じ)ノンフィクション作家・澤地久枝
太平洋戦争は真珠湾攻撃に始まり、以後破竹の勢いで翌年4月までに、マレー半島・ボルネオ島・ジャワ島・スマトラ島を占領する。しかしその後の攻撃目標を軍指導部は考えていなかった。そこに折から米空母ホーネット号から発艦したB25爆撃機が突然首都東京をはじめ主要都市に初めての空襲を行った。当時の航続可能距離・可能時間から考えて爆撃後に発艦地点まで帰投することは技術的に不可能なので、同盟国中国に着陸させるという柔軟な発想により実現したものであった。日本軍の首脳は突然の本土空襲に驚いて、米空母の根拠地であるミッドウエー島を占領すべく、空母4隻を含む連合艦隊を派遣した。図らずも日米主力艦隊による海戦が実現する。しかし日本海軍の秘密暗号は戦争前から米軍にパープルの名で解読されており、日本軍が同島を空襲する前に、守備の飛行機隊は同島を飛び立って避難していた。一方日本側は、米国の連合艦隊が現れるか、それとも機動部隊が現れるか見当がつかず、次々に索敵の航空機を出発させたが、あいにくの霧で見つけられなかった。やむを得ず、艦上では敵機動部隊に備えて迎え撃つための爆弾を飛行機に積んだり、艦隊に備えて魚雷に積み替えたりを繰り返した。そしてあと5分で積み替え作業が完了し、飛行機が飛び立つというとき、雲霞のごとく敵の飛行機が艦上に殺到したのである。日本の航空母艦4隻はすべて沈没し、米国の完全勝利に終わった。米国では、Fatal Five Minutes(運命の5分間)と報道された。その瞬間日本は四周の制海権を失った。
〇歴史家・保阪正康
連隊長吉松喜三大佐は中国軍と対戦中、近くに龍門の洞窟があることが判り、文化遺産保存の観点から中国軍に申し出て、別の場所で戦争することを提案した。その後吉松大佐は「樹の育つところには平和がある」と考えて、大本営に申し出て、たくさんの苗木を送らせ、局地戦が終わるごとに中国大陸に植樹をした。それが中国側の知るところとなり、戦争終了後も植林の依頼を受けた。苗木の数は4百万本にのぼった。
戦後、靖国の靖の字は青つまり緑を立てると書くように、平和の祈りを込めて同神社の空き地に銀杏の木を植えさせて貰い、その実から育てた苗木を遺族に配布して回った。
〇経済学者・野中郁次郎
著書に、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」「アメリカ海兵隊―非営利組織の自己革新」などがある。一橋大学名誉教授。彼の説によれば、「知」には二つのタイプがある。論理的で分析的な「形式知」で、デカルトに代表される西欧型の知と、言語で表現することが困難な「暗黙知」である。知を生み出すには、形式知と暗黙知の循環が必要である。日本の軍隊では、論理的・分析的な人物が中心におらず、声が大きく、一見度胸があり、直観型の人間が重視されてきた。具体例では、辻正信と服部卓四郎のコンビは、ノモンハン事件で失敗し、それを取り戻そうと、インパール作戦でさらに大失敗をする。司馬遼太郎の「坂の上の雲」によると、明治時代の知識人には本質を見抜く哲学的な思考が身についていた。美しい言語概念でコンセプトを表現できた。西田哲学でいえば、純粋経験つまり我を超えて対象と一体化するという非常に深い暗黙知。言い換えれば、単なる直観を超えて自覚に至るためには、経験知と形式知との相互作用を働かさなくてはならない。そこに日本軍の失敗の本質が見いだされる。
結び
明治政府は近代国家のデザインを描くにあたり、欧米先進諸国に倣って、富国強兵を目指し、短い期間に日本を五大強国に成長させた。歴史に「若し」は許されないが、平和・文化・科学立国を目指していたら、現在の日本はどのようになっていたであろうか。これからでも遅くはない。若者たちに希望にあふれた未来を与えられる国家に変貌することを希求する。大国でなくていい。強国でなくてもいい。GDP世界第3位でなくていい。世界中の人々から信頼される豊かな精神国家になることを期待して已まない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『長寿の内容』
───────────────────────────
岡本 弘昭
厚労省に国民生活基礎調査というのがある。その2022年調査に健康票による調査がある、これは、健康票に「絶望的だと感じましたか」「そわそわ、落ち着かなく感じましたか」などこころの状態を示す6つの設問があり、その集計結果の総合点で「精神状態が良好かどうか」を、男女別。年齢区で明らかにするものである。
65歳以上の高齢者についての調査では、精神状態が良好な人の割合(以下、「のんき度」と呼ぶ)は、65~69歳の男性は78.4%、女性74.4%である。
70-74歳男性78.6%、女性74.4%。70-74歳男性78.6%、女性73.5%。
75-79歳男性74.5%、女性67.35%。80-84男性66.7%、女性61.1%。85歳以上男性60.4%、女性56.0%となっている。高齢化に従い健康上の問題を中心に「のんき度」は低下する。(プレジデントオンライン2023/09/12 )
ただ、85歳以上でも「のんき度」は、それなりの水準にあるといえる。これは我が国の諸政策がそれなりに功を奏してきたともいえよう。
ところで、現在の日本では、75歳以上のおよそ3人に1人、85歳以上では半数以上が要介護や要支援に認定されている。2025年には、「団塊世代」が全員75歳以上の後期高齢者となるため、全人口1億2254万のうち17.8%(2,180万人)が後期高齢者となる。
従って現状の要介護や要支援状態がそのまま続くとすると、2025年以降は、要介護や要支援に認定される人数が急増することとなる。しかし、我が国の人口構造、財政上の問題、移民政策等からすれば、これに対して十分な対応は難しく「介護難民」が急速に増加すると推測されている。具体的には現状が続けば2025年頃には全国で約43万人が「介護難民」になるという。
第一生命経済研究所の星野卓也氏の試算では、2050年に介護保険で「要介護」か「要支援」となる人は941万人と2020年度比4割近く増える。この場合、施設や訪問で介護を手掛ける「介護職員」は302万人必要だが、今の就業構造を前提にすると6割の180万人しか確保できず、122万人も足りない。従ってこれで対応できるのは、おそらく要介護のみ。要支援を中心に4割程度の400万人近くはケアを受けられないだろうという。(2023年6月19日日経新聞)
つまり、これから先の日本社会は、高齢者の介護問題が大きな課題で、具体的には「老々家族介護」時代を迎えることになる。
これに対して政府は、人材開発、生産性向上、外国人介護人材の受け入れ等様々な政策を検討していると伝えられるが、問題の基本は、我が国の人口構造と経済力さらには国民性の問題であり、即効性のある解決は難しいと思われる。つまり、今後高齢者の「のんき度」は急速に悪化していくことは不可避ということである。
これに対応するには、個人が自己管理に十分に取り組み、あくまでも健康長寿を目指すことが不可欠である。同時に、我が国の社会全体が現実の長寿の内容を直視し、長寿は美徳とする単純な発想から脱し、真の意味でのウエルビーイングを考える風土を作ることが望まれる。
編集後記
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
朝日新聞10月9日の記事によると、韓国では2018年2月に延命医療決定法が施行され法施行5年で適用者は年々増加しているそうです。
法律の目的は、延命医療への自己決定を尊重することであり患者の最善の利益を保証するもので、実施にはいろいろな手続きが必要とされているようです。しかし一定の要件の下で尊厳死(人生の終末期医療において本人の希望を受け入れた上で、過度な延命治療を行うことなく自然に死を向かう)を認めているということです。
日本以外の国々では、すでに“安楽死”のあり方について議論している段階だそうですが、日本はまだ“尊厳死”さえ議論が十分になされていません。なお、尊厳死(自殺幇助を除く、治療中止によるもの)についていえば、アメリカ全土、イギリスなどの欧州諸国、台湾やシンガポールなどのアジア各国で認められています。さらに、安楽死(積極的安楽死および医師による自殺幇助)については、オランダやベルギー、ルクセンブルク、オーストラリアの一部の州などで法的に容認されているそうです。
また、イギリスでは、認知症など自分では意思決定を実行できない状態にある方を支援するという視点で“ベスト・インタレスト(最善の利益)”という概念がつくられました。
これは意思決定能力がないと法的に認められた人に代わり、家族や友人らが集まって話し合い、本人らしさを反映した決定を確保するものだそうです。
このような世界各国の状況からすれば、日本はもはや尊厳死の議論においては、ガラパゴス化しているという評価もあるようです。超高齢化であり少子化社会である我が国では、あらゆるシステムの見直しが求められ、既往の倫理観もその例外ではないと思われます。
尊厳死を含めた死生観について真剣に議論すべき時期が来ているのでは。
今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
第477号・予告
【 書 評 】 桜田 薫『 日本経済の見えない真実 』
(門間和夫著 日経BP)
【私の一言】 福山忠彦『「和をもって貴しと為す」で
世界に規範を示そう 』
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■ ご寄稿に興味のある方は発行人まで是非ご連絡ください。
■ 配信元:『評論の宝箱』発行人 岡本弘昭
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
Mail;hisui@d1.dion.ne.jp