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                        2023年12月15日                                                                                                                                                               VOL.480

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 第480号・目次
  【 書 評 】 岡本弘昭 

      『平等バカー原則平等に縛られる日本社会の異常を問う』
       (池田清著 扶桑社新書)
  【私の一言】 幸前成隆 『兼聴できるか 』


 
【書 評】
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◇『平等バカー原則平等に縛られる日本社会の異常を問う』
◇        
(池田清著著 扶桑社新書)
└─────────────────────────┘
                      岡本 弘昭


 著者池田清彦氏は早稲田大学国際学術院教授。専門は進化生態学、生物多様性、環境・生態論、科学社会学。エッセイスト。
 最近の我国の国民には何が何でも平等を主張する風潮がある。加えて行政はその風潮を慮る傾向がある。そのため結果として、誰も得をしない、あるいは全員が平等に損をするという事態が生じている。しかし、歴史を振返れば平等という概念は、権利に関するものであり、さらに、人間は能力や環境等で個人差があり、そもそも不平等なものである。そのことを配慮せずにあるいは無視して原則平等主義に走った場合、もともと不平等なところに平等を施しても結果は不平等のままか、さらにその差が広がることも生じる。本書は、このような非合理性の現実について考える材料を提供し、なんでも平等としないと収まらない平等主義者(本書では平等バカ)に、改めて考え直す機会を与えている。そういう観点から本書は参考になる。

 主な概略
 東北大震災時に、大きな避難所に500人程度の老若男女が避難していた。そこに“支援物資”として毛布300枚が届いたが、この枚数では避難者全員に行き渡らないということで、誰にも毛布の配布は行われなかったという事実がある。これは平等に毛布を配らないという方針が選択された結果であるが、病人、高齢者、婦女子等の弱者がその判断の犠牲になった。
                     
 現代の日本社会を見回すと、上記のような「平等」に拘泥するあまり、好ましくない事態が起きる事例が蔓延している。これは、国民の側に「平等が正義」とし、上っ面の『平等』だけを追い求める『平等バカ』の存在があり、同時に、行政にもそれを慮る無責任主義という問題もある。しかし、世の中には、時にはあえて平等を選択しないことが必要なケースもある。『平等バカ』の先にあるのは、非合理な事態であることは上記のとおりである。なお、「平等バカ」の存在の背景には、日本社会全体に自分と同じようなタイプの人が自分よりちょっとだけいい思いをするのが許せないという嫉妬羨望システムというムードがあるためといえよう。

 「平等」とは、差別がなく皆等しいという状態を指す。従って、「平等」を最重要とし最優先とすべきケースもある。しかし、長い歴史の中で勝ち取った「平等」は、権利という観点の「平等」である。人間で「平等」なのは、命が一つでいつかは死ぬということぐらいで、身体的な能力も頭脳的な能力も環境も決して平等ではない。
従って「平等」を考えるうえで重要なのは、人間はそもそも「不平等」であるという視点である。もともと「不平等」なところに、見せかけの「平等」を施しても、結果は「不平等」のままか、場合によっては、さらにその差が広がることもありうる。これは時には、あえて不平等を選択するのが必要なケースもあるということを意味する。
 
 世の中の仕組みには、人がもともと平等であるかのふりをして成立している事が山ほどあり、これはさらなる不平等がもたらされる可能性がある。例えば、日本の場合、公立の小中学校では明らかに支援を要すると判断されない限り、同じ学校であれば基本的には全員同じ授業を受ける。しかし、人の頭脳は平等でなく受手の方に差があるのに同じものを与えればますます差は大きくなる。一律の授業で平等の成果はえられないし、平等主義の教育では、多様な人間や天才は伸び悩む、あるいは育たない可能性があり、それは不平等につながる。これは、経済格差、公平ではない消費税などにもみられる。

 「平等」というのは、英語ではequalityであるが一律もequalityと訳されることが多い。つまり「平等」とはきわめて一律に近い概念ととられる。
一方、「不平等」を何らかの手段で是正することで得られる結果的な「平等」というのは、impartiality(偏りがない)であり、それは公平と言い換えらる。                                                              我々が現実に求めるべきは公平であり、上っ面の「平等」を追い求める先にあるのは実は不公平である。これを避けるためには、一律的な平等は時としては深刻な不平等・格差にもつながることを意識して、それぞれ個人が自分自身でしっかり情報を収集し、公平の観点からもよく考えて対応することが不可欠といえる。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

             『兼聴できるか』
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                     幸前 成隆
 

 兼聴できるか。兼聴するとは、広く意見を聞くこと。
 明君は兼聴し、暗君は偏信する。

唐の太宗が、魏徴に、「何をか謂いて、明君、暗君となす」と聞かれた。魏徴、答えて曰く、「君の明らかなる所以のものは、兼聴すればなり。その暗き所以のものは、偏信すればなり(貞観政要)」。

 上になると、側近が情報を上げなくなる。
「上れば、聾瞽なり。その壅蔽する者、衆ければなり(呻吟語・治道)。しかし、
「上の政をなすや、下の情を得れば治まり、下の情を得ざれば乱る(墨子)。だから、兼聴が重要となる。

 古くから、種々の教えがある。
 詩経には、「先人言えるあり。芻蕘に詢うと」とある。芻蕘とは、草を刈り、芝を刈る人。庶民のことである。

 書経には、尭、舜が、「四門を闢き、四目を明らかにして、四聡を達す」とある。
都の東西南北の四門を開いて、賢者を集め、広く意見を聞いて、政治に活かした。
「故に、共鯀の徒、塞ぐ能わざりしなり。靖言庸回、惑わす能わざりしなり(貞観政要)。

 兼聴するかどうか。「人君、兼聴して下を納れなば、貴臣、壅蔽するを得ずして、下情、上に通ずるを得るなり(貞観政要)」。
  

編集後記
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 来年2024年は、甲と辰が合わさる甲辰(きのえたつ)年です。「この年は、甲とは「甲乙丙丁~癸」の始まりであり、物事の始まりととらえることができ、辰は発芽した植物がしっかりとした形になる、勢いと大きな力、成功ととらえることができる。
従って、甲辰年は新しいことを始めて成功する、いままで準備してきたことが形になるといった、縁起のよい年」という見解があるそうです。
 来る新年が、皆様にとり縁起のいい年となることを祈念申し上げつつ、本年一年のご支援・ご協力に心から御礼申し上げます。
よい年をお迎えください。(H.O)

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 第480号・予告
【 書 評 】 三谷 徹『日本人の勝算 』
          (デービッド・アトキンソン著 東洋経済新報社)
【私の一言】 福山忠彦『温故知新の旅 20年ぶりの台湾 』
               
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    ■ 配信元:『評論の宝箱』発行人 岡本弘昭
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