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                             VOL.478

              
評 論 の 宝 箱
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  第478号・目次
 【 書 評 】  吉田龍一 『 なぜヒトだけが老いるのか 』
                                   (小林武彦著 講談社現代新書)
 【私の一言】  幸前成隆 『よく人を用いる 』


    

【書 評】
┌─────────────────────────┐
◇         『なぜヒトだけが老いるのか』
◇           (小林武彦著 講談社現代新書)
└─────────────────────────┘

                                  吉田 龍一

 著者は本書を上梓した動機について次のように語っている。
「前著『生物はなぜ死ぬのか/講談社現代新書』で、生物学的な死の意味、死ぬという性質を持つものだけが進化することができ、今でも存在する。だから死は必然的であると指摘した。」これに対し、「歳を取ったらあとは死ぬだけなのか」というご感想があった。それは私の本意ではなく、生物学的に死には意味があるけれど、「歳を取ることにも生物学的に大切な意味があり、ただ単に死に至るための過程ではない」「死にも、老化にも意味がある」ということをお伝えしたかった」。

 具体的には、「死」はすべての生物に共通する絶対的なもので、多くの動物は生殖可能な期間が過ぎるとすぐに死んでしまう。生殖能力を失っても長く生きる、つまり「老い」の期間があるのはヒトとシャチとゴンドウクジラぐらいのものである。一方、生物が持つ全ての性質は、進化の結果であり、「老い」のある動物にはそれなりの意味・背景がある。ヒトの「老い」にも生物学的な意味がある。おばあちゃんの仮説によれば、ヒトは子育てに手間がかかる生物で、おばあちゃんが孫の世話をする必要が生じ、それにあった個体の遺伝子が結果的に多くの子供をもうけるのに有利であり、長生きする個体が生き残っていると考えられる。さらに、おばあちゃんの役割には、単に「子育てを手伝う」という役割から、「世代を超えて情報を伝達することにより情報を共有したり維持したりして、芸術などの文化を生み出す」という役割まであるともいう。つまり、人の場合、集団の知恵を蓄積し結束をはかるのに老人は役に立ち、老いる人がいることで有益な情報などが伝わり進化に及んできたとみられる。これは、生物学的に言う、「老い」が長い種が生き残ったという解釈になる。

 ところで、現在は生物学的に見るとヒトの寿命は55歳程度のはずなのに、ゲノムが壊れにくく90歳に近い寿命をもち人生の40%は老後とも言える。この老後の期間をどう生きるか。

 著者は、生物が持つ全ての性質は進化の結果であり、「老い」が長い種が生き残ったというのが進化の歴史であった。具体的には、ヒトは集団生活が発達した共同体である社会に属して生きてきた社会性の生き物であり、集団の結束力で生き残ってきたが、そこではおばあちゃんの仮説にみられるように、老人の経験による公共的な活躍が重要な要素であった。つまり、「老い」はヒトの社会が作り出した現象であり、老いた人のいる社会が選択されて生き残ってきたといえる。この観点からすれば、今後とも男女共に年を重ね、感謝や利他の精神で集団の知恵を蓄積し結束をはかることがヒトにとって必要なものといえる。ただ、「老い」のあるべき姿はそれなりの内容を持つものである必要がある。

 本書の構成は7章からなるが、第4章以降は「老い」のあるべき姿への著者の提言である。それは現代の老人の在り様に対する批判ともとれる老人論でもあり、特に高齢者は参考にすべきことも多い。読みやすい本である。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

              『よく人を用いる』
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 事の成否は、人をよく用いるか否かにある。十八史略に、漢の高祖が天下を得た所以を問うた話が出ている。 

 あるとき、高祖が洛陽の南宮で酒宴を開いて、「徹侯諸将、皆言え。吾れの天下を取りし所以は、何ぞ。項氏の天下を失いし所以は、何ぞ」と、尋ねた。
 高起・王陵が、陛下は戦いに勝つと、その利を分け与えられたが、項羽はそれができなかったのが、違いだと答えた。
 これに対して、高祖は、あなた方は一を知って、二を知らないと言った。
 曰く。「籌を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、子房に如かず。国家を填め、百姓を撫し、餽餉を給し、粮道を断たざるは、蕭何に如かず。百万の衆を連ね、戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、韓信に如かず。この三人は、皆人傑なり。
吾れ、よくこれを用う。これ、吾が天下を取りし所以なり。項羽は、一の范増あれども、用いること能わず。これ、その吾が禽となれる所以なり」。

 攻略をめぐらすのは、張良にかなわないし、国政を治めるのは、蕭何に及ばない。また、軍事になると、韓信にかなわない。しかし、この三人を使いこなせたのが、天下を取った理由で、項羽は、傑物の范増を使いこなせなかったから、負けたのだ。

 高祖が張良の献策を用いたから、張良も心服し、また、韓信を斎王とし、上将軍の印綬を授けたから、韓信は裏切らなかった。一方、項羽は、范増に「豎子、謀るに足らず。将軍の天下を奪わん者は、必ず沛公ならん」と言わしめた。

 よく人を用いるには、度量が必要である。


編集後記
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 今年の立冬は11月8日でした。「冬の始まり」である立冬までは各地で真夏日が続いていましたが、立冬が過ぎると急速に冬日が始まりなした。秋は完全にパスされたようで、体が冬に馴染まずに体調を崩す人も多いようです。ところで、例年年明けに流行するイメージがあるインフルエンザですが、今年は各地でその注意報が11月から発令されているようです。「強いウイルスが流行ると、他のウイルスが流行らないそうで、新型
コロナの感染が下火になった9月ごろからインフルが一気に流行り始めたということのようです。
 一難去って、また一難、の感がありますし、今年のインフルエンザは複数回感染する恐れもある特徴もあるようです。年末も近いことでありくれぐれもご自愛の上お過ごしください。

 今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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 第479号・予告
【 書 評 】  片山恒雄『 生命の意味論』(多田富雄著 新潮社)
【私の一言】  庄子情宣『日本の将来とシルバーデモクラシー 』
               
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